『自由』に立ちすくんでしまう子供達


アメリカの学校の生活やコミュニケーションのパターンに慣れるまで子供達が意外と苦労してしまうのが先生の指示です。遊びの時間になると、「遊ぼう!」と声をかけてくれるどころか、各自お気に入りのおもちゃでさっさと遊び始めてしまうアメリカ人の子供達を横目に、助けを求めるように先生に近づくと「自分の好きな遊びをしていいんだよ。」と言われ、1週間近くずっと教室で突っ立ったままだった幼稚園児や「自分の思う通りに書いてごらん。」と言われ、何をどう思ってよいのかわからないと課題に取り掛かれない小・中学生。情報や知識の習得を重視している日本の学校教育を受けてきた子供達は、先生は子供が‘どんな知識を使ってどう行動すべきか’細かく指示を出すものとしてみているので、方法や問題解決を重視するがために日本の先生ほど細かい指示を出したり細かく説明しないアメリカ人の先生のやり方に戸惑ってしまうのです。そして、学校教育の文化的な違いを知らないアメリカ人の先生も、動けなくなってしまった子供の反応を見て余計にわけがわからなくなるばかりで、子供が何を求めているのかが見えず、何か問題があるのではないかとサイコロジストに相談しにくるというパターンも珍しくありません。自由、自由とは言え、自由の範囲があることは当然であるし、自由の範囲が文化的に異なること、与えられる情報や知識によって変わることも当然です。情報や知識が十分に提示されず、或いは、話の流れから実は提示されていたとしても言葉の理解が不十分なため、“自由”と言われる範囲の境界線が見えないことからくる不安感は実に自然な反応なのです。

子供がどうしたらよいのかわからず立ち往生している場合は、行動を始めるのに子供がどれぐらい必要な“情報や知識”を持っているのか確認してみましょう。例にあげた幼稚園での遊びの場合だったら、先生や他の子供達にどんなおもちゃやゲームがあるのか見せてやってもらえないかと先生に頼むことで解決するだろうし、バディシステム(=学校に慣れるまで一緒に遊んだり食べたりしてくれる子供を交代に付けてくれるシステム)もその意味では独りで行動できるようになるために必要な情報や知識を授けてくれる大切な手段として機能するわけです。学習課題の指示で、「自由に」「自分の好きなように」「思った通りに」という不安感倍増要注意キーワードが出てきた場合は、毎回先生に見本や例を求めるより、自分で例や選択肢を作ってみるというスキルを身につけさせましょう。例えば、『龍宮場から島に戻ってきた浦島太郎の気持ちをあなたの思うように書いてみなさい。』という課題があったとして、ストーリーと関連させた気持ちを書かなければならないのか、ストーリーとは全く関係なく自分で勝手に作ってもよいのかわからない場合、

など、思い付くことをリストに書き出して、課題に取り掛かる前に先生に見てもらった方が、何がわからないのかを言葉で説明するよりも簡単ですし、自分の考えが先生の考える課題の目的から脱線していないか確認することもできます。その上、リスト作りは、自分で考えなければ作れないものなのでよい自己表現の練習にもなりますし、相手の言わんとしていることがよくわからないことの多い異文化生活にまつわる不安感を自分で減らすよい訓練にもなります。相手に例を求めると相手の定義する答えの正しさを求めてしまうものですが、リストを見てもらう形にすると自分で正しい答えを作ったり発見していける楽しさも味わうことができます。

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05/21 updated