現地校裏話〔8〕:
子供の理解できるシステム
前回の裏話では、子供に全て判断を任せるようないつも子供の意見が中心という形になると、子供の他人に対する信頼感が育ちにくく、他人は(親でさえも)信頼できないのだから全て自分で考えて判断しなければならないというメッセージを送ってしまいかねないので注意する必要があり、また、全て自分独りで判断しなければならないという状況は子供には負担が大きすぎるというようなことを書いたのだが、先日、ベテランの特別支援教育の先生と話していて、特別支援教育の形においても同じことが言える、むしろ特別支援の必要な子供達の方がわかりやすいという話題になった。
私が現在週の半分を仕事にあてているプログラムというのは、特別支援が必要な子供達の中でも知的発達に中〜重度の障害があり、言葉の学習発達が遅れているために自分の気持ちを言葉で伝えられない子供達がほとんどである。だから、不安感や不満などがあると大声をあげて泣き始めたり、ものを投げたり、人を叩いたり噛んだり蹴ったり、時には、おもらしを教室でしたりと様々な行動で表してくる。子供達の中で、2年程前に別の学区の特別支援教育プログラムから移ってきた男の子がいるのだが、前の学校では他人に対する暴力的反応がひどく、学習および学級活動に参加するどころではなかったため、特別な行動分析&介入プランまで立てられていた。今の学校に移った時は初めの1〜2日に前の学校でレポートされていたような暴力的行動は見られたが、その後は滅多に見られなくなり、行動分析&介入プランの必要性さえ疑問に感じる程で、昔の学校からのレポートを見て驚いた私が先生に聞いたところ、どうも昔の学校のプログラムは先生が理解できたとしても子供が理解できるようなシステムを採用していなかったらしいとのこと。現在のプログラムは、子供達が学校で課される内容に不安感をおぼえないように、まず、学校での活動スケジュールを把握できるように教えることから始め、スケジュールを基に学校生活のパターンを身につけさせる。行動に関しても、例えば、不満があってもこういう行動を起こしたら、それは認められない。認められない行動に対して先生やアシスタントは毎回‘例外なく’こういう反応をする、つまり、結果が決まっているので、結果を知りながら起こす行動は子供達自身の責任であり選択であるというメッセージを送り続けるのである。だから、自分達ができる範囲の行動というのが比較的わかりやすく、認められる行動範囲の中で、学習やその他の活動に取り組めるというシステムなのである。もちろん、個人のニーズを知った上で結果の内容を決めるわけで、たとえば、過敏な感覚を持っているこの男の子の場合、大声を張り上げ始めたら、本人が嫌だと言っても教室から出し、校舎内をアシスタントとゆっくり歩きながら一周し教室に戻ってくるというような方法をとっているわけで、「静かにしなさい。」と教室内で無理矢理黙らせるようなやり方は、むしろ男の子の声や行動がエスカレートしてしまうので避けているわけである。
子供が何が起こるのか予想できないようなシステム、子供が自分で何が起こるのか探し当てなければならないようなシステムというのは、子供には負担が大き過ぎてパニックしてしまうのよと先生が言っていたのだが、私もそれに同感である。何が起こるのかを探し当てるというのは、もちろん、学習につながるのだが、子供がどこまで探し続ける必要があるのか、子供にきちんと提示してやる必要がある。子供がどこまで自分の責任で頑張って、どこからは大人がサポートする、たとえば、自分でトライしたのだけれど、失敗しても取り返しがつかない大失敗にならないように大人がサポートするという綱渡りのネットのような存在が目に見えてないと子供はパニックするというわけである。そして、子供に見えるネットを設置するのは大人の責任だとも先生は言っていた。先生は前の学校で落着かなかった男の子の場合、自分がすべきことがその時にならないとわからなかったり、自分の行動に対する大人の反応が毎回違っていたのではないかと分析していた。親も現在の学校に移ってからの男の子の変化に驚き、喜んでおり、最近では、学校生活の不安感や恐怖感が減ったためか、今まで家でも学校でも2〜3種類の食べ物しか口にしなかったのに、学校のクッキングの時間に作ったホットドッグやスナックなどをゆっくり時間をかけながらでも全部食べたりするなど、少しずつ新しいことに挑戦し始め、周りの大人を驚かせている。
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10/04