記録1 (1999年4月−2000年3月)
手配 ヘルシンキの世界選手権は楽しかった。次の世界選手権も見に行きたい。
が、それはエルビスが出ればの話である。いくら「自称アジアン応援人」でも、エルビスが出ていない海外の世界選手権を見に行くパワーは今の所ないのだ。エルビスが進路をはっきりさせるまで結論を出さないことにし、その間ヘルシンキの後始末、PhotoshopとMicrosoft
FontPage Expressとの格闘に没頭する。
ツアー中にケガをするわ、メインのコーチと別れて本拠地を移動するわと何かと話題が多いエルビスのシーズンオフだったが、何はともあれアマチュア続行を宣言。これが確か99年6月のことだった。
さあ次の世界選手権。まだ時間があるから急ぐことはない。しかしネットを見ていると既にチケットの手配をしている人がいる模様。ヘルシンキでもジャッジ側の席は気合いの入ったスケートファンがたくさんいた。ひょっとして早いうちに席を取っておかないとジャッジ側に座れないんだろうか?
実はこの時のチケットはネットを通じて人から譲ってもらったものなので、いつごろ手配された物なのかわからないのだ。そろそろチケットの手配方法を調べようか…と思っていた矢先に開催地の変更(オーストラリア・ブリスベン→フランス・ニース)が発表される。
オーストラリアのスケート協会が放映権がらみの費用を払えなかったというのが表向きの理由らしい。半年前になって何を今さら。本当にそれだけの理由か?オーストラリア側は決まった当初、何年も前から準備していただろうに。
史上初の南半球での世界選手権。ヘルシンキでは専用のブースがあり、スタッフらしき人が「今まででhottestな世界選手権!」という内容のチラシを配っていた。アンソニー・リウの演技にもヨーロッパのあまり有名でない選手よりよっぽど大きな声援が一方向からではあるが送られていたし、「Anthony
Liu is the Best」の応援幕もあったのだ。いくらクワドのコンビネーションを持っていたとはいえグランプリシリーズで実績のない選手、北米にしろヨーロッパにしろスケートファンのチェックはほとんど入っていなかっただろう。
時差8時間の国へ行くためにどれだけの労力が必要なのか少しはわかる。まして彼らには南半球から北半球への移動というさらなる負担があったというのに。
開催地を変更したのはいいが、もちろんこれでオーストラリア側がおさまるはずがない。裁判を起こすの起こさないともめている様子で、その決着がつかないことにはこちらとしては準備に動けない。ニースよりアンソニー・リウの地元のブリスベンに行きたいからじっくり裁判やってくれ…とのんびり構えていたり、さっさと決めてくれ!とじりじりしたりと落ち着かない。この件について海外のホームページでニュースやコラムがあったのだが、普通のスケート記事とは違う英語の専門用語を読む気力はなかった。あまり成り行きを把握しないまま1999年が終わる。
年明けになって海外のスケートの情報を見るならまずここ!というSandraさんのホームページがニースの世界選手権の公式ページをリンクしたので、ニースへ向けての手配を始めることにする。
とりあえずニースへの飛行機を確保(関空発フランクフルト経由、ルフトハンザ航空)。そして宿も。ヘルシンキですっかりユースホステルが気に入り、そして経費を安くすませたい貧乏性の私。ニースにもユースホステルがあるのでファックスを送り、予約する。
そして、一番問題になるのがチケット。公式ページではチケットの取扱店(?)が紹介されているが、オンラインで申し込みはできない。席の値段も書いていない。ビクつきながらもとりあえず値段と申し込み方法を問い合わせるファックスを2000年2月初めの金曜の夜に送る。が。
返事が来ない。
翌週の水曜になっても木曜になっても来ない。心配性でしかもかなり短気な私。最悪の場合現地で買えばいいと思ってはみるのだが、打てる手は全て打っておかないと心配でピリピリしてしまう。ファックスではらちがあかない、こーなったら直接電話してやる!とブチ切れ、丸一週間後の金曜の夜に電話をかけた。
かかったと思ったらフランス語と聞きとれない英語のメッセージ。「混線しています。しばらくお待ちください」というあたりだろうと思って待っているうちにつながり、最初の「Hello」で相手が察して英語を話す人に代わってくれた。
名字を言うとニューヨーク在住の人と間違えられたのだが、フルネームを言うと「ああ、この前ファックス送りました?」読んでいたのなら返事ちょうだいよ(^^;)
2時間後にメールの添付ファイルでチケットの値段と申し込み方法を教えてもらい、改めて申し込みのファックスを送った。
世界選手権の3週間前にチケットを送るということなので、届くのは四大陸選手権が終わってからということになる。フランスと日本の間だからさらに1週間ぐらいは待っておいた方がいいだろう。どっちにしても打てる手は全て打った。先の世界選手権より目の前の四大陸選手権が大事。というわけで四大陸選手権に燃える日々を送ったのは周知の通り(笑)。
で、四大陸選手権が終わった。
チケットはまだ来ない。
もともと短気な私。焦って相手を追いつめてはいけないとセーブしてきたが、もうこの時期なら何を言ってもいいだろう。3月14日に確認の電話を入れた所、申し込みが届いていないという。
なに――っ!?
「とりあえずもう1回送ってください」の言葉を信じてもう1度ファックスを送り、確認の電話を入れ…これがつながらないのだ。世界選手権の2週間前、チケットを送るので事務所もてんやわんやの状態なのだろう。つながるのを待ちながら混線用のメッセージをきいていると、「www.MC2〜〜〜.com」の声。
なにちょっと!オンラインで注文できるの!?
もう一度公式のホームページを見てみると、確かにURLが表示されている。私が最初に問い合わせをしたのは2月の始め、この時には表示されていなかったはず。いくら要領が悪い私でもこれを見逃すほどひどくはない。
表示するなら最初から出してくれ!!あんまりだ〜〜〜〜〜!!!
もうファックスはあてにならないとあきらめ、オンラインで申し込みをする。万が一ファックスが届いていた時の事を考え、「2つ予約が入っていたら1つキャンセルしてほしい」という内容のメールを送っておく。注文が本当に受け取られているのか、チケットが間に合うのかとピリピリしながら一週間が過ぎ、結局チケットが家に届いたのは3月21日だった。
チケットの話と並行し、「ユースに泊まって優雅に極貧観戦」計画に大きなどんでん返しがやってくる。
四大陸選手権で知り合いになったアメリカ人、シェリルが世界選手権に行きたいと言ってきたのだ。
彼女はカナダ男子シングルの2番手、ベン・フェレイラ君のファン。「ベンがワールドに行けるかどうか決まる大事な試合だから自分の目で見ておきたかった」ということで日本語のあいさつさえ知らない状態で初めての海外旅行、大阪の四大陸選手権を見に来たなかなかの強者である。
2000年1月のカナダの国内選手権でエルビスは会心の演技で圧勝したものの、2位のエマニュエル・サンドゥ君と3位のフェレイラ君との差はごくわずかだったそう。そのためか世界選手権に派遣する2人目の男子シングルの選手は四大陸選手権の結果で決定することになり、2月の四大陸選手権ではフェレイラ君がサンドゥ君の順位を上回った。
そのフェレイラ君が世界選手権の代表に決まった以上、シェリルも世界選手権を見に行きたくなったらしい。
私は「現地で会うなあ」ぐらいに考えていたのだが、彼女は一緒に泊まるつもりだったようだ。しかし「海外旅行ではバックパッカーの一歩手前」が理想のスタイルの私と「ユースに泊まると物を盗まれる」と思い込んでいるシェリル。メールでやり取りをしてもどうもその辺の話がかみ合わない。
彼女が「一緒に泊まろう!」と持ちかけてきたホテルは私にとっては完全に予算(1泊300フラン=約6000円)オーバー。しかし「私の都合であなたのプランを変更させるんだから、これは私の責任。余分なお金は出すから一緒に泊まって!」とまで言ってくるのを断るのはやりすぎか。仕方なくユース(朝食つき1泊72フラン)をキャンセル。
ああ、優雅な極貧観戦計画が(^^;)。
大喜びのシェリル。さらにメールで「初日と最後の夜はオフィシャルホテル予約したからね」
なに――――――――っっ!!!!!
ちょっと、お、おふぃしゃるほてる!?
「楽しいよ!情報が簡単に手に入るし。日曜の夜泊まって情報仕入れたら翌日からの観戦が楽になるし」
確かにそれは正論なのだが!
ちょっと!いいのか?いいのか!?本当に!?!?
やめてくれ〜心臓に悪い〜〜!
後にして思えばここで「オフィシャルホテルは絶対嫌!泊まるならあんた一人で泊まって!」と突っぱねればよかったのだが、そうすることを思いつかなかったのはやはり「ラッキー!」と思う気持ちがあったのだろう。我ながら二重にタチが悪い。
写真を1、2枚プレゼントするくらいなら選手の迷惑にはならないかな…………?
「英語がわかるくせに『フン!』という顔をしてフランス語で返事をする」というのが定説のフランスへの旅行。しかし観光地のニースは比較的英語が通じるということもあり、そっちの方面にそれほど不安はない。
前回のヘルシンキは飛行機が夜中に着いた。それが不安でホテルまで自力でどう行ったらいいのか、ガイドブックと地図を見ながら必死でシミュレーションをしたものだが(タクシーという文字が頭になかったらしい)、幸い今回は飛行機が夕方に着く。「バスで駅まで行って、駅前のインフォメーションへ行ってバスの路線地図もらったらいいわ―♪」と今までの海外旅行では考えられないお気楽モードの私。
はてさてどうなることやら。
(2へつづく)
注:今回のオフィシャルホテルは世界選手権の公式ホームページで選手用の宿泊施設として名前が公開されていました。いわばインターネットをする人なら誰でも知ることができ、泊まろうと思えば誰でも泊まることができる状態だったわけです。したがって話題にしても差し支えはないと判断し、これから先触れていくことにします。
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