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思いつき小説「海岸」プロローグその5


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In Reply to: 思いつき小説「海岸」プロローグ4
投稿者:野嵜健秀 - 投稿日時:1999年12月24日 08時26分15秒

青年は一瞬きょとんとしてから、眉間に皺を寄せ、かなり困ったような表情を浮かべた。
「まさか、な。冗談だろう?」
「冗談じゃないの――本当の事よ。目を覚ましたときには、頭の中は空っぽだったの」
「……」
今日子は立上がった。
「ねえ、わかる? 眠りからさめたとき、目の前で知らないおばさんが泣いていたの。その時のわたし、どんな気持ちだったと思う?」
水から上がる。風が吹いてくる――既に涼しさを帯びた、秋の風だ。
「困っちゃったのよ。知らない人が目の前で泣いていたのよ。もう、笑っちゃいそうなくらい、弱っちゃったわ。でも、泣いてる人を笑っちゃいけないでしょ。しようがないから黙ってた。そうしたらね、知らないおじさんに、今日子、って呼ばれたの」
「……」
「びっくりしたわよ。きいた事もない名前で呼ばれたんだから。でもね、じゃあわたしの名前は、って考えてみたら、思い浮ばないの。驚いたわよ、そりゃあ」
「……」
青年は朴念仁のように、ぼうっとつっ立ったまま、今日子の話をきいている。今日子はその様子を見て、くすりと笑った。
「自分で自分に驚いたわ。それでね、どうしたと思う?」
「……ええと」
「黙ってた、って言うか、何も言えなかったわね。今のあなたみたいに。それで、しばらくの間、何も言わなかったら、わたしが記憶喪失だって誰も気付かないの。なんでもわたし、高熱をとつぜん出して倒れたそうなの。その後遺症でものを言えないんだろうって思われてね、で、まあ、半月も黙ってたわたしも悪いんだけどね、突然、わたし、記憶がないんです、って言ったら、おばさん――お母さんがびっくりして、凄かったわよ」
「おれは戸川修一。おまえの従兄だ。宮路の所に来たんだろう、案内してやる」
青年――修一は今日子の言葉をきつぱりとした口調で遮ると、背を向けて歩き出した。
「あ、案内してやるって、……待ってよ、靴履くから」
ずぶ濡れの今日子は砂浜を駆けあがると、裸足の砂をぱっぱっと払って素足に靴を履いた。そして荷物と靴下を手にすると、修一のあとを追つた。


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