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の国」自民党森派幹部・小泉純一郎内閣の正体

靖国神道永久権を引き継いだ小泉政治

日本の経済成長は終わりました。森嘉朗の後継に因果を含めて小泉純一郎を送り込んだ「神の国」派はそのことを最も良く理解していました。
日本の経済がかってのような成長を取り戻す事はもうない、ならばもっとも手っ取り早い利権を押さえて奴隷制度をまず盤石なものにしておくことである。自由主義の国であろうが社会主義の国であろうが原理主義の国であろうが、盤石な利権とは言うまでもなく宗教を塗(まぶ)した
事利権です。日本は純軍事予算だけで年間5兆円です。金融や建設や農業などのように景気の浮沈は関係ありません。近隣諸国や、他民族との憎悪や軋轢をあおるだけで商売になります。TVやマスコミは完全に手中にしていますからあおるのはお手のものです。まさに丸儲け、完全奴隷愚民制度です。
ここまで日本の経済をボロボロの「焼け野原」にしたのは戦前から続く天皇制という歪んだ利権構造とそれを巧みに利用してきた自民党政治です。これは犯罪ですが巨大な犯罪事実と膨大な被害者だけが放り出されたまま犯人は逮捕も起訴もされていないのがこの奴隷制度の充
振りを証明しています。

自民党総裁選挙告示前の4月13日に「神の国」総裁自民党森善郎派番頭小泉純一郎は日本遺族会事務局を突然訪ねた。前遺族会会長は総裁選を争う橋本龍太郎である。小泉は「橋本は8月15日に靖国神社に参拝しないがおれは必ず行く。」と遺族会に公約した。遺族会の中井会長にも電話で伝えた。(8月7日夕刊) 遺族会の会員世帯は104万。昭和28年に設立され「九段会館」を国から無償貸与されている。元常務理事の尾辻秀久を参院に送り込んだり、靖国神社の国家護持法案を5回も自民党に提出させたりしている極めて政治的な団体である。家族の生を人生の途上で突然断ち切られたのだから、その戦争責任者を激しく追及したり、戦争に繋がる小銃一丁でさえ日本には必要ないと言って、苦痛のうちに死んでいった者を反戦の決意で追悼している団体だろうと普通の国民なら思う。しかしまったくちがう財団法人なのである。戦争は絶対だ、死にたくない、といいながら殺された戦没者の気持ちを想うと暗澹としてくるのは若者だけではない筈だ。

1945年、
太平洋戦争で既に敗戦は明らかであったとき、日本という国家は天皇制を護持するための時間稼ぎに、二十歳そこそこの若者をボロ飛行機に放り込み神風の特攻隊として片っ端から殺して行きました、沖縄では毎日何万もの県民が鉄の暴風と呼ばれたアメリカ軍の凄惨な攻撃で焼き殺されて行きました。天皇制
利権、神道利権護持の確定を図る空しい時間稼ぎの中で国民は「最後の痛み」を押しつけられて虫けらのように扱われ殺されて行ったのです。

2001年、
今また「神の国」総裁自民党森善郎派幹部小泉純一郎は「巨大な痛み」を国民に押し付けて来ました。
「10年以上かけて育て上げた信頼関係が新しい教科書と靖国神社参拝であっという間にアジア全域で崩壊した。 今は怒りよりはむなしい。」(N商社鉄鋼部門現地責任者)
「神の国」総裁森派幹部・小泉純一郎がアジア諸国との共生を放棄してまで手にしておきたかったのは日本国民を永久に奴隷として扱える永久利権の方だというのは極めて分かりやすい構図ではあります。たとえ世界がどうなろうと「天皇制と神道体制」という
縦の楔を脳天に打ち込まれたこの国の奴隷たちは命も財産も簡単に差し出す「痛み」を嬉々として受け入れる稀有な存在なのです。



石原慎太郎都知事は「安物のヒットラー」と青嵐会の仲間からもバカにされ、国民からは国政に首を突っ込むな(国政参加支持18%)と引導を渡されたが、小泉と共に右翼特有の悪あがきが目立っている。「横須賀市で開かれた福田派の新人候補である小泉純一郎氏の決起集会になぜか福田赳夫氏は私の同道を求めてきて、小泉氏が家内の方の親戚ということもあったが、私も承諾して行を共にした。」(『国家なる幻影』石原著) 今回の組閣でその時の見返りかどうかは知らないが小泉は石原慎太郎と福田赳夫の殆ど使いものにならない息子を入閣させた。小泉自身を含めて、利権の世襲内閣なのである。福田赳夫の親分は反共カルトと言われた岸信介である。福田の政敵田中角栄が大平正芳と組んで日中国交回復をやろうとした時、真っ先にそれを阻止しようとしたのが福田の使い走り別働隊と呼ばれた青嵐会だった。中川一郎や石原慎太郎、小泉の親分・森嘉朗や山崎拓、中山正暉たちが中心だった。




鹿島を中核とする企業グループだけとなった、、、、、

2002-02-15
■ITセンター用の東京都有地、下限価格の2倍で応札
 東京都が「世界的なIT(情報技術)産業の拠点に」と売却を決めた電気街・秋葉原駅前の都有地約1万6000平方メートルに対し、応札したのは大手ゼネコン(総合建設会社)の鹿島(本社・東京)を中核とする1グループだけで、応札価格は都の設定した下限価格(最低価格)の約2倍に上る数百億円だったことが15日、関係者の話で分かった。都は同日、売却を決める審査委員会を開く。
 都は昨年12月、千代田区にある旧神田市場跡の都有地を「秋葉原ITセンター」(仮称)として整備するため、民間業者に売却すると発表。土地の購入価格と事業計画を総合的に判断して譲渡先を決めるコンペ方式を採用した。最新機器の展示場や、電子情報通信系大学院の研究室を集めた「サテライト連合大学院」(学生数約250人)を作ることなどが義務付けられている。

 「石原慎太郎知事就任後、民間を活用した初の街づくり計画」(都幹部)として注目され、当初は13の企業・グループが名乗りを上げたが、資金難などで次々と撤退。応募期限の1月末までに、鹿島を中核とする企業グループだけとなった。

 このコンペをめぐっては、非公開だった審査委員7人の名前が外部に漏れた疑いもあり、関係者によると、「このメンバーでは特定の会社が有利」などの情報が飛び交ったという。ゼネコン業界からは「計画内容で勝負できるよう下限価格を事前に公表すべきだ」などの声も上がっており、都は決定に至る詳細な報告書を公開するという。

 都は「都側に問題はなく厳正に審査するだけ」と話し、鹿島広報室は「コメントできない」としている。




焼け野原と化した首都東京 ...1945



中日新聞夕刊..2001年2月14日






 



「戦犯の判決に万来の拍手が」無職 T・Sさん 町田市63歳
、、、、、
終戦の後小学生の私は駅前広場によく遊びに行っていた。
 ある日、そこに大きな掲示板ができ、ラジオの拡声器が取り付けられた。既に大勢の人が詰めかけ、ラジオ放送を待っていた。放送は東京裁判の判決だった。被告の名前が呼ばれ、絞首刑とか終身刑と言われると、人々は拍手した。万雷の拍手だった。
数年後、中学生になって他県に転校したが、転校先の担任の教師も自分の町の駅前広場で同じような光景を見ていた。
 あの時の万雷の拍手が、まだ耳に残っている。当時、ほとんどの国民は東京裁判を支持していたのだ。A級戦犯の人々は国の犠牲者ではない。自らの野望で無謀な戦争を始め、多くの国民をむざむざ死なせてしまった。軍人たちは無責任集団だった。
 1951年のサンフランシスコ講和条約第11条には、東京裁判の結果を日本が受け入れることが明記されている。日本は東京裁判を受け入れることで国際社会に復帰できた。今になって東京裁判は受け入れられないという人がいるが、あの時あなたは拍手をしなかったのか。
2001年8月11日・新聞投書欄


国体護持というあさましい利権のために内外の多くの人間をを殺した戦争犯罪人を、日本人の行う裁判で裁くことが今は急務である。「強殺」「強姦」「強奪」などの恥ずべき戦争犯罪に関わった多くの兵士がその裁きを受けないまま祀られてしまった。彼らとしても安らかに永眠出来ないのではないか。

 


2003・1、米原万理氏「週刊現代」より

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