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落葉のAIR MAIL(Song by PEARL)。


 わが家は「国際化」などどいうこととはまったくといっていいほど縁のない家庭なのですが、1年間だけ、ひんぱんにエアメールを出していたことがありました。弟が農業の研修でアメリカに行っていたのです。まぁ、日本語で書いてるわけですから、あて先が外国というだけで、それ以外はただの手紙だったわけですけど…。

 手紙を出すときは、たいてい、航空書簡でした。郵便書簡の国際版、といえばよいのでしょうか(もしかすると、その逆なのかも知れないけど)。あらかじめ、切手の部分(料額印面)がついていて、中に文章を書いて、そのまま封をして出すというのはいっしょ。ただ、郵便書簡とはちがって、中には何も入れることが出来ません(まぁ、実際には「バレなければいい」という感じで、何回か、手紙をほかの紙に書き足して入れたこともありますが)。これは各国共通なようで(あたりまえといえばあたりまえかな)、大きさも各国共通でした。そうそう、これは郵便局に行けば売っているわけですが、文具店でも私製のものを売っていたのを見たことがあります。もちろん切手は別に買って貼らなければならないわけで、はたしてこれを買うことにどれだけのメリットがあるんだろう?と思ってしまいましたけど。1回だけ、ものめずらしくて、これを買って出してみたこともありますけどね…(笑)。

 長い手紙のときは、ふつうに封筒に入れて出しましたが、それでも、最低料金でまにあうようにとすると、エアメール用の便せんでも、3枚が限度だったかなぁ(うろおぼえでごめん)。紙が薄いので、両面に書くっていうのもむずかしかったのでした。

 外国にひんぱんに手紙を出す人なら知っていると思うのですが、相手が切手代を払わなくてもいいように「国際返信切手券」というのを入れて送ることがあります。日本の切手を入れておいてもむこうの国では使えないので、かわりにこの券(エアメールの最低料金分の切手と交換できる)を入れておくんですね。当時('93年)は1枚120円だったかな。弟にもこの券を送ったのですが、「バカバカしいのでやめてくれ」といわれてしまいました。アメリカでのエアメールの最低料金は50セントで、日本円にするとこの券の半分以下の価値しかなかったのでした…(ここの項、料金についてはまったくのうろおぼえです。ごめんなさい)。

 手紙以外では、雑誌やカセットテープを送ってました。雑誌は「印刷物」ということで、ふつうの手紙よりはずっと料金設定としては安いのですが、重さがだいぶあるので、それでもけっこうお金がかかりましたね。それと、手紙(日本の郵便法でいうところの「信書」ですか)がはいっていないことを確認するために、封を開けられるようにして送らなければいけませんでした。カセットテープを送ったときも、封こそしたものの、出すときに「職権で開封できる」というシールが貼られていましたっけ。実際に開封されたかどうかはわかりませんけど…。

 話はすこしずれますが、雑誌を送ったときは、自分と、母と、弟の友人がそれぞれ別に同じものを送ってしまった、なんていうことがありました(笑)。あと、「尾崎豊が聴きたい」と言われて、コピーして送ったこともありましたっけ。精神状態がよくわかる…。

 手紙が届くまでにはだいたい1週間かかりました。弟から手紙が届くたびに、すぐ返事を書いていたわけですが、えんえんと入れちがいをつづけていたようなものでしたね。かといって、ほかにとる方法があるわけでもなく、やっぱり、手紙が届いた翌日には、返事を出してたのでした。

 はじめに書いていたとおり、ただ「あて先が外国なだけ」(余談ですが、リターンアドレスは日本語で書いてました。弟からの手紙も、あて名は日本語で書かれていた)だった手紙ですが、遠くに出すっていうこと自体が、ふしぎな感じがしたものですね。家の近所から、山の中の温泉街から(ここのポストは、むかしながらの丸いものだった)出した手紙が、ちゃんと弟に届いているんだからなぁ…(まぁ、それを言っちゃうと、国際電話なんていうのはもっとふしぎだってことになってしまうけど)。前にも書いたけど、やっぱり、こういう物流のシステムっていうのはすごいなぁと思ってしまったのでした。

 もうひとつ、ふしぎに感じた理由があるとすれば、やっぱり、弟に手紙を書いたっていうことですか。(生まれて1回もいっしょに暮らしたことがないとはいえ)こんなことは、それまでまったくなかったものねぇ。なんだか妙にテレくさいものがありますよね。自分も、福岡でひとり暮らしをはじめてから、1回だけ母から手紙をもらったことがあったけど、あれはほんとにはずかしかったなぁ…。


 このあとも、ほとんど、外国に手紙を出したことはありません。「なつかしい思い出話」です。