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「香川大学教育学部の岩月謙司教授」スレ608氏の書込み内容検証

  • まずは皆様にこの書込みを見ていただきたい。
    岩月氏逮捕の3ヶ月前に、インターネット掲示板「2ちゃんねる」に書かれたものである。
    書き込んだ人物を仮に「608氏」と呼ぶことにする。

    608 名前: 没個性化されたレス↓ 04/09/04 10:39
    敢えてマジレスするけど。

    この大センセは、クライアントと相談と称して、
    ホテルに行って(ホテル代はクライアント持ちみたいだ)
    一緒に風呂に入ったりしてる。
    勿論、風呂に入る時に着衣で入ったりする奴はいねえ。

    あと、この大センセをマンセー!!支持するワ♪っていう
    女(学外者な)で○○マリアってのがいるんだけどさ、
    このマリアを「マリアおかーさん」、大センセを「岩月先生
    おとーさん」てクライアントに呼ばせてたぜ。

    ま、所詮2ちゃんて言う奴は、言っとけ。ただ、↑のクライアント
    は後で大センセが「親密に相談」しなくなって絶望して自殺
    してるぜ。

    >>607さんが言ってる「天誅」が来るのを俺は待ってる。
    この大センセは絶対許せねえ。

    長文スマン。

    611 名前: 608 04/09/04 17:37
    >>610
    リクエストか?

    冗談みたいだが、リアルの話だ。
    ただ、連絡して「ヤター、タイーホ!!」とかって
    踊れる程軽い話でもない。
    レイプ事件が表に出にくいのはセカンドレイプが
    あるっていうのも理由の一つだと思うが、俺の
    話も似た所がある。

    自殺したクライアントもともかく、その両親は
    子供に先立たれて今やっと3回忌を終わらせて
    何とか自分の事業を続けてるよ。残された家族の
    心の傷口に塩を擦り込む事になるような事になること
    が俺は怖いよ。

    書き逃げかよ!!って言って笑う奴は笑ってくれ。
    だがな、クライアント一個人の死の周辺にはその
    クライアントを大切に思い、育み、そして急に
    奪われたものの怒りと哀しみがあるんだ。

    612 名前: 608 04/09/04 17:45
    >>611の続き

    取り敢えず、あともう一つこの件に関して。

    例のクライアントは大センセの本を読んで
    感銘を受けて、ファンレター??????
    だか、感想文だかを送って、それから交流
    が始まったんだ。で、大センセが親と一緒に
    生活することを止めるようにサジェスチョン
    して、クライアントとは何の縁もゆかりも
    ない所で生活することを良しとしたんだ。

    周囲に忠告する奴がいないところで、大
    センセと連絡を取り合うことイコール
    柔らかな洗脳って匂いがしないか?

    ま、とりあえず、今のところはこの辺で。
    長文を重ね重ねスマン。

  • 608氏の書き込みに関心を持ったのは、一つには、書き込みのあった日付が2004年9月4日であるという点である。
    2004年7月31日付の時事通信に次のような記事が載っている。

    下着姿で抱擁、正当性ない=大学教授にわいせつの意図−不起訴不当/時事通信 2004/07/31

    高松検審(時事通信)

    心の悩みの相談に訪れた関東地方の20代女性にわいせつな行為をしたとして、 準強制わいせつ容疑で告訴された香川県内の大学教授の男性(49)を不起訴 とした高松地検の処分について、高松検察審査会が30日までに「不起訴不当」 と議決していたことが分かった。

    検審は「治療名目で下着姿で抱き合った行為に 正当性はない」として、わいせつ意図を認めた。地検は「議決内容を十分検討し、 さらに捜査を尽くしたい」としている。

    教授は取材に対し「議決は事実誤認が甚だしい」と全面否定している。


    しかし、この記事では岩月謙司氏の個人名は伏せられている上、「下着姿で抱き合った」との記載はあっても
    「一緒に風呂に入った」という記載はまだない。
    オムツはTV放映されていたが、風呂云々の具体的な話が初めて出てきたのは、
    岩月謙司氏が逮捕され全国紙でも報じられた2004年12月7日のことである。
    つまり、608氏は、2004年9月4日、つまり岩月氏逮捕の3ヶ月以上も前にそれなりの事実を知っていることになる。
    したがって、608氏の書き込みが単なる事実無根の誹謗中傷とは思えないのである。

  • 608氏の書き込みが本当ならば、クライアントの三回忌直後の書込みであり、
    クライアントの自殺は2002年夏頃であろう。

    その約8ヶ月後の2003年4月出版の岩月謙司著に「なぜ「白雪姫」は毒リンゴを食べたのか」の
    第4章「聡明な女性ほど不幸が好き−幸せ破壊活動」に
    自殺したクライエントの話が掲載されている。
    「幸せ破壊モード」のクライアントが鎮静剤を5箱も飲んで、夜の11時に岩月に電話した。
    岩月が救急車を呼ぶように指示し、この場合事なきを得た、その後の記載に着目いただきたい。

    岩月謙司著 「なぜ「白雪姫」は毒リンゴを食べたのか」 155頁 (2003年4月25日発行)

    なぜ、「白雪姫」は毒リンゴを食べたのか

    もし、私が電話に出なければ、彼女は死んでいたかもしれません。

    実はこういうやりとりを私はこれまで何度も経験しています。

    意識がもうろうとなる前に電話を掛けてくることが多いので 事なきを得ていますが、 中には、クスリを適量飲み、 (飲みすぎると吐きますし、少ないと死に至りません) 本当に死んでしまった人もいます。


    岩月氏は、「本当に死んでしまった人もいます」と記載してる。
    608氏の書込みと時期・内容とも完全に符合する事実だが、果たしてこれは同一のクライアントを指すのだろうか。

  • 更に1年後に発行された「ムリして頑張って何になる」にも、同様の記載がある。

    岩月謙司著 「ムリして頑張って何になる」 206頁 2004年4月10日発行

    ムリして頑張って何になる

    育て直しをやめた理由

    思い残した子の全員が私に怒りをぶつけてくるわけではありません。 中には、自分自身に怒りを向けて、自傷や自殺に走る子もいます。
    なぜ、怒りを吐き出すのでしょうか。

    怒りをかかえていると、自分の心や体が壊れてくるからです。病気になったり、 うつ病になったりします。怒りは、人の心や体を破壊するのです。

    自傷や自殺に走る子とは、果たして608氏の言う「自殺したクライアント」を指すのだろうか。

  • もう一つ、前スレ608氏の書き込みの中で注目を引いたのは「マリア」という名前が出てくる点である。

    岩月謙司HPの前身、Life LineというHPの開設人であり、かつ
    岩月謙司事務所のチーフマネージャーが佐藤真理愛という方なのである。

  • ところで、岩月謙司氏と佐藤真理愛という方の対談が、以前「現代教育新聞」
    のHPに連載されていた。佐藤真理愛なる方は、対談のプロフィールでは
    「子育て真っ最中の2児のお母さん」とだけあり、心や子育ての問題について
    岩月氏に意見を伺うという形になっている。
    今では、岩月氏の名も佐藤真理愛なる方の名も二人の対談も「現代教育新聞」の
    メインのHPからは全て削除されてはいるが、ページ検索するとまだ昔のページがまだ残っていてヒットする。

    香川大教育学部助教授 岩月謙司先生が答える 心の相談室

    香川大教育学部助教授 岩月謙司先生が答える 心の言葉を読む

    この「現代教育新聞」の旧リンク集を調べてみると、佐藤真理愛なる
    「2児のお母さん」は「岩月謙司事務所・チーフマネージャー佐藤真理愛」と
    して名前が挙がっている。
    ただし、この旧リンク集にてリンクされている佐藤真理愛なる人自身のHPである
    「Life Line」 はすでに消滅している。

    つまり、この対談は一見、岩月氏と「一母親」という形態をとってはいるが、
    実は岩月氏とチーフマネージャー佐藤真理愛なる人との自作自演にすぎない。
    この佐藤真理愛さんは、どこで岩月謙司氏と接触したのだろうか。
    なぜ、岩月謙司氏の広報活動をおこなっているのだろうか。

  • ここで、1998年5月1日の中国新聞の記事を紹介しよう。
    岩月謙司氏にカウンセリングを受けた広島県三原市の佐藤ちひろさん(26才)という方の電子メールが紹介されている。
    ちょうど岩月謙司氏の3冊目の著作「家族のなかの孤独」が出版された直後である。

    男はつらいよ'98 読者からの声(下)

     コミュニケーションをテーマにすると、話がどんどん深くなる。三原市の主婦佐藤ちひろさん(26)の電子メールも深く考えさせてくれる内容だった。

    ・・・(略)・・・

     佐藤さんがこんなことをいうのは、カウンセリングの中で自分自身への気付きがあったからだ。

     人格形成不全と診断され、自殺未遂も三度。その原因をたどってみると、母に行き着いた。不機嫌な顔におびえて「ママの喜ぶことをしよう」と心に誓ったのが四歳の時。無意識のうちに「母の奴隷」になった。

     母の不機嫌は、病弱な父のために自分のキャリアを犠牲にしたことにある。それを、子供を支配することで穴埋めしようとしていたのだ。しかし娘が母のために頑張ると、今度は娘に嫉妬(しっと)する母…。

     「私のパニックはそこからきていました。秘められた母への憎しみが原因と分かったとき、本当の自分の気持ちと出会いました。つらくて泣きそうになりながら自分の気持ちをつかんだ時に『何だ、そうだったのか』と自分がいとおしくなりました」

     そして夫に向きあったら、不満ばかりぶつけていた自分が恥ずかしくなった。「こんないいとこがあるじゃないの」と夫がいとしくなった。

     「刃(やいば)を向けていながら『優しくしてくれない』と言ってもだめ。なぜ気付かないうちに刃を向けていたか、その刃は本来だれに向けられるべきなのか。それを分かるのが先決です」

     あらためて佐藤さんに電話をした。

     「本当の自分自身と出会った人が、本当の言葉で語ってこそ、相手の胸に届くと思います。もちろんわが家でもけんかはしますが、心掛けているのはそういうことです。それが夫婦のコミュニケーションではないでしょうか」

     修羅場をくぐったとは思えない明るい声だった。宗教的な境地さえ連想させる。しかしコミュニケーションを探っていくと、ここまで行き着いてしまうのではないかと感じている。

    ・・・(略)・・・

     佐藤さんのカウンセラーだった岩月謙司香川大助教授の「家族の中の孤独」は、親から受け入れられなかったがゆえに相手に心を開くことができず、コミュニケーションがとれない多くの例を引いて、「苦しくても自分を見つめることの大切さ」を説く。

    この記事と「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」の手記を照合すると見事に内容が一致する。(下表参照)
    よって、佐藤ちひろさんは「私は生きている」の手記の執筆者と推定される。

    中国新聞 男はつらいよ'98 読者からの声(下) 「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」
    家族のなかの孤独―対人関係のメカニズム
    人格形成不全と診断され、自殺未遂も三度。その原因をたどってみると、母に行き着いた。 「なぜなら私は過去において大きな自殺未遂を三度もしたのだから」 4-5頁
    「こんな私を精神科医は「人格形成不全」または「ヒステリー」「育児ノイローゼ」と診断した。」5頁
    不機嫌な顔におびえて「ママの喜ぶことをしよう」と心に誓ったのが四歳の時。無意識のうちに「母の奴隷」になった。 四歳の私が心に誓ったこと。それは「ママの喜ぶことをしよう」だった。
    その後の私の人生は、ずっとその不機嫌な顔に支配されるようになった。(16頁)
    しかし娘が母のために頑張ると、今度は娘に嫉妬(しっと)する母…。 けれど、私が自分の才能を発揮すると、今度は一転して母は私に嫉妬するのだ。 信じられない。そんなことありえない。母が娘に嫉妬するなんて、だが、実際にそうなのだ。(18頁)
    母の不機嫌は、病弱な父のために自分のキャリアを犠牲にしたことにある。それを、子供を支配することで穴埋めしようとしていたのだ。 しかし娘が母のために頑張ると、今度は娘に嫉妬(しっと)する母…。 「母がいつ自分の人生を諦めたのか、私は知らない。キャリアウーマンとして社会で名をあげようという夢を捨て、家庭に入り 病弱な夫との貧乏暮らしを決心した時かもしれない。」 22頁
    佐藤さんのカウンセラーだった岩月謙司香川大助教授の「家族の中の孤独」は、親から受け入れられなかったがゆえに相手に心を開くことができず、コミュニケーションがとれない多くの例を引いて、「苦しくても自分を見つめることの大切さ」を説く。 岩月先生のカウンセリングを受けてそう思った。(4頁)

  • 「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」の手記の人と佐藤真理愛さんは、
    2人の子供を持つ主婦である点で特徴が一致する。
    岩月謙司先生が答える 心の相談室
    「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」
    家族のなかの孤独―対人関係のメカニズム
    聞く人  佐藤真理愛
    さとうまりあさん
    プロフィール子育て真っ最中の2児のお母さんです。
    二人の幼な子をこの手でしっかりと抱きしめた。55頁

  • 「Life Line」は、上の記事の1月後に佐藤真理愛さんが開設したホームページである。
    佐藤真理愛さんの岩月氏の広報活動時期と、佐藤ちひろさんの活動時期と、「家族のなかの孤独」の出版日(1998年3月1日)は、ほぼ時期が一致する。
    つまり、佐藤真理愛さんと佐藤ちひろさんは同一人物で、かつ「私は生きている」の手記の人だと推測される。
    彼女は、岩月氏にカウンセリングを受けて信奉するようになり、
    岩月氏を応援するため、広報活動をするようになったのだろう。

    Life Line から岩月謙司ホームページへの系譜

    • 1998年6月23日 Life Line  http://www.tako.ne.jp/~inq/ 開設。
       サイト管理人は佐藤真理愛と名乗っている。
       内容は岩月ファンサイト。岩月氏本人によるコラムが掲載されていた。

    • 1998年7月21日 サイト改装。「人間行動学者岩月謙司のページ」に変わり
       URLも http://www2.odn.ne.jp/~cab70510/index.htm に変更。
       中身は現在の公式サイト http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8029/
       とほぼ同じ。
       2002年2月頃までODNで運営してたことが確認できる。
       サイト管理は岩月氏以外の「管理人」である。

    • 2002年9月29日、geocities でサイトを開設。内容はODN時代とほぼ同じ。移転だと思われる。
       ODN時代と同じく、岩月氏以外の管理人がいる。

  • そして、岩月氏が逮捕された直後の2ちゃんねる・心理板のスレッド【逮捕】岩月謙司【まじかよ】 をご覧いただきたい。
    「私は生きている」の手記の内容と酷似した方の書込みがある。

    266 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 22:20:47
    1私はかつて岩月謙司先生を何度も訴えようと考えたり、陥れてやろうと
    考えたことがあります。
    先生と接していて反発したことも何度もあります。先生を叩いたことも。先生の研究室の
    あのオレンジ色の椅子をひっくり返し、試験管やビーカーを片っ端から割ったこともあります。

    アポ無しに研究室に行った時、たまたま女子学生が(パソコン操作が得意で足が水虫で悩んでいた子)
    先生のパソコンを独占して使っているのを見て、ブチ切れて、あの3階の外階段から落ちそうになるくらい
    の勢いで駆け下り、門を出て泣きながら、街中を彷徨ったこともありました。
    あの頃は無茶苦茶でした。
    それまでは、親の「いい子」で優等生だったのに、岩月先生との出会いから自己分析や
    『先生に話しをただただきいてもらう』という行為をしていく中で、自我が目覚めたのか
    遅咲きの反抗期みたいに、親にもガンガン言いたいことを言って泣いてさけんだり、
    先生にも暴力を振るったりといっぱい迷惑をかけました。


    267 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 22:21:23
    2.岩月先生とスキンシップした経験もあります。頭を撫でてもらったり、背中をさすってもらったりしました。
    生理痛だから、お腹をさすってって甘えて、さすってもらったこともあります。
    わざとセクシーな格好で研究室に行って、Hな話題を自分から仕掛けたこともあります。とにかくあの頃は
    私は情緒不安定でした。先生は、(あくまでも、私の経験した範囲でしかお話できませんが)、
    私のお色気挑発には乗って来ませんでした。乗って来られたら来られたで、先生もやっぱり世の中の
    スケベな男達と同じだと思い苦しくなるだろうし、乗って来てくれなければ、くれないで、
    「自分って女の魅力がないのかな」と悲しくなるだろうし。。
    とにかく、相手は、異性ですから、恋人扱いして欲しい反面父親と小さな娘みたいな関係でいて欲しい
    などと、自分でも自分の頭の中がぐちゃぐちゃになっていました。
    こんなに自分を情緒不安定にさせたのは、岩月先生だと、思って、先生を憎んだ時期もありました。

    268 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 22:21:55
    3.あれから、11年が過ぎました。私は、もうリストカットもしなくなったし、過食嘔吐もしなくなったし、
    それどころか、我が子や我が子の友人を可愛がるのが楽しいからです。
    先生の奥様の版画絵台紙の年賀状を時々見つめては『あの頃は苦しめてごめんなさい』『ありがとう』
    と今やっと言えるようになりました。
    ここからは、私の想像ですから、全く見当はずれかもしれませんが
    告訴なさったお嬢さん。きっと、あの頃の私みたいに、揺れていたんだと思います。
    揺れている時、ものすごく、悪いことを考えてしまうことがあります。私も考えました。実行寸前でした。
    『訴えてやる』とか『先生の生活めちゃめちゃにしてやる』とか。
    そこまでしても、先生が自分の幸せを願ってくれる言葉を掛けてくれるかどうか究極の試しを
    したかったんじゃないかな......
    あと、「訴えを起こす」という大胆な行為に自分の親が真剣に加担してくれるかどうかも試したかったのでは
    ないかなって思います。
    「親が自分のために大金を遣ってくれた=自分は親から愛されている」というような実感が欲しかったのかも
    しれません。

    269 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 22:22:24
    4.私も親に岩月先生の悪口を何回も言ったことがあります。そして、父親や母親が
    『あなたの親は岩月先生ではなくて、私たちよ。』と言って、もっと愛してくれれば良いな〜とこころ密かに
    思っていました。でも、私の実家は常に経済的に苦しかったので、弁護士さんを雇うお金もなかったし、
    訴訟を起こしてやりたいという欲求を実行する能力がありませんでした。
    私が当時、先生を訴えていたら、今のように逮捕されたかもしれません。
    あの頃の私なら、先生との密室でのスキンシップを「セクハラだ」と、主張したかもしれません。
    それほど、必死に、もがいていました。
    生きることと死ぬことの狭間で、必死にもがいていました。
    ともかく、今は、先生が安心して心も体も休められる日が来ることを祈っています。

    271 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 22:31:54
    5.追伸。もし、私が裁判の証人に呼ばれたらありのままを話すつもりです。
    岩月先生から、『裁判の時は証人になって下さい』と頼まれたことは
    一度もありません。
    ただ、訴訟を起こされているという事実はご本人から聞かされていました。
    しかし、先生は、訴訟を起こしているお嬢さんを恨んでいるようなことは
    一度もおっしゃりませんでした。
    先生の弁護士様からも連絡はまだ、ありません。
    出来ることなら、私の方から証人に立候補したいくらいですが。。
    お力になれない自分が悔しい気持ちです。

    279 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 23:00:59
    275様
    贔屓と言われればそうかもしれません。たしかに。私は贔屓されていたのかもしれません。
    贔屓して欲しかったんです。「贔屓してほしい」というメッセージは心の中にいつももっていたような
    気がします。だから、頻繁に、先生に関わっていきました。積極的に。でも、先生にも都合がありますから、断られたり冷たくされたことも
    何回もありました。そこで、私はこんな質問をしました。「わたしとK子ちゃんが同時に池で溺れていたらどっちを先に助けてくれますか?」
    と。先生はこう言いました。「岸から近い方から助ける。」と。「なぜ、私が先ではないの」とわーわー気が狂ったように泣きました。
    今なら理解できるのです。人間には、できることと出来ないことがあるからです。同時に2人を助けてやれれば一番良いのでしょうが、
    出来ないことも多々あるはずです。私は2人の子供を育てていて、2人の子に一度に要求されて困ったことが
    何度もあります。
    気が付いたら、泣き叫ぶ声の大きい子の方を先に、面倒を見ていたような
    気がします。そのため、大人しいほうの子はもしかしたら、私という母親を
    憎んでいるかもしれません。誰かを助けようとする。
    助けられたい者が助けられた、助けられたかったのに、助けてもらえなかった。
    など、ご縁や、運命や、めぐり合わせや、タイミングというものが、あるような気がします。

    このようなことがありました。
    私と同じ時期に先生に相談事をなさっていた女性と対面した時に
    ひどく、嫌がらせ的行為を受けたことがありました。
    「先生と親しくしているあなたが羨ましかった。」と後になって
    謝罪してくれました。
    数年もたって謝罪してくれました。
    心の整理には、誰だって時間がかかるのだと思います。
    何年たっても、その人が、その人なりに、自分で納得の出来る
    人生になれば、それで良いと、感じます。
    275様。鋭いご指摘ありがとうございました。


    281 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 23:05:30
    277様
    おっしゃる通り、選ばれた人間。。。かもしれません。
    自分ではわかりません。先生から「君を選んだよ」と言われたことはありませんから。

    ですが、私は、自分で、岩月先生を「選んだ」と解釈しています。
    「この人を信じてみよう」という自分の決断とも言えます。
    宗教でも学問でも、芸術でも、恋人でも、最終的には「選ぶ」のは、自分自身です。
    自分自身で選んだ結果、これでよかったと思える人生であれば良いな〜と、
    思っています。

    292 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/11 23:23:47
    287様
    おっしゃる通りです。
    はい。正確に言うと11年前に初めて先生の研究室を訪れた者です。身の上話をちょこちょこと
    聞いていただくくらいの間柄でした。
    「男と女のラブゲーム」を参考書にして、一般教養の授業をなさっていたころです。
    私は、それから、約3年間は、お会いしていません。
    確か、再び先生の所を訪れたのは、96年頃です。
    266-269で書いたお話は、96年以降のことです。
    説明不足で申し訳ありませんでした。

    341 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/12 02:30:31
    296様
    お返事が遅くなって申し訳ありません。
    なぜ2ちゃんねるを見ているのかそして、書き込んでいるのかの答えを
    お答えします。
    突然の逮捕で、ご本人はじめ、ご家族の方、弁護士の方等事情を知っている方々との
    連絡が取れなかったので、インターネットで情報収集する手段を選びました。
    しかし、報道機関等のサイトからは、限られた情報しか分からなかったので
    最後の手段として2ちゃんねるに来た次第です。
    支援ページが更新されたようですので、今後はそちらを見ることにしますので
    おそらくここには来ないこととなると思います。

    342 名前: 没個性化されたレス↓ 04/12/12 02:40:14
    300様
    お返事が遅くなりました。
    あなたの出された質問に的確に答えることが出来ません。
    存じ上げないからです。
    と言いますのも、96年当時、私は大学を去ってすでに3年以上
    過ぎておりました。社会人でした。
    そして、93年当時は、登校拒否気味の学生で、しかも、専攻が違いました。

    岩月先生とは、一般教養の授業で、知り合いました。
    先生の生物の学問の活動に関して私はほとんど理解しておりません。
    しかし、96年当時の面会時に、先生がご自身で作成なさった
    資料のプリントアウトを頂きました。後に出版された本のな元となるような資料でした。
    ただ96年頃、大学の学生の方か、院生の方か、私には識別できませんでしたが
    すごく太っている男性と廊下でお話した記憶があります。『なぜ岩月先生のところに来ているのですか』と聞かれたような気がします。
    記憶が曖昧で申し訳ありません。
    前述しましたように、支援ページが更新されたようですので今後はそちらに
    目を通すともりでおります。
    読んでくださった方々、ありがとうございました。

  • 上記書込みと「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」の手記を詳しく照合してみよう。
    高い類似度を持つことが判るであろう。

    上記の書込み 「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」
    家族のなかの孤独―対人関係のメカニズム
    先生と接していて反発したことも何度もあります。先生を叩いたことも。先生の研究室の
    あのオレンジ色の椅子をひっくり返し、試験管やビーカーを片っ端から割ったこともあります。
    ・・・略・・・
    先生にも暴力を振るったりといっぱい迷惑をかけました。(266)
    先生をぶったたいたり、 挙句の果ては研究室の試験管やビーカーを全部床にぶちまけたりした。(49頁)
    揺れている時、ものすごく、悪いことを考えてしまうことがあります。私も考えました。実行寸前でした。 『訴えてやる』とか『先生の生活めちゃめちゃにしてやる』とか。 そこまでしても、先生が自分の幸せを願ってくれる言葉を掛けてくれるかどうか究極の試しを したかったんじゃないかな...... (268) 岩月先生と逢っていないときの私は、先生を破滅させることばかりを考えていた。 岩月先生の自宅に押しかけて、奥さんに「私セクハラされたの」と泣きながら訴えてみよう、とか。(45頁)
    私は2人の子供を育てていて、2人の子に一度に要求されて困ったことが 何度もあります。 (279) 二人の幼な子をこの手でしっかりと抱きしめた。 (55頁)
    そして、93年当時は、登校拒否気味の学生で、しかも、専攻が違いました。
    岩月先生とは、一般教養の授業で、知り合いました。 (342)
    朝、大学へ行こうにも、体がいうことを聞かない。動かないのだ。
    ・・・(略)・・・
    でも母は助けてはくれなかった。 それどころか不登校気味の私に冷たい視線を投げかけ、・・・(28頁)
    1993年 22歳 香川大学を離れる(卒業または中退)
    1996年 25歳 再度、岩月氏に逢いカウンセリングを受ける。
     
    ????年 22歳 香川大学を中退し、結婚する。
    ????年 25歳 再度、岩月氏に逢いカウンセリングを受ける。
    1998年3月 「家族のなかの孤独」発行

  • また、「子どもを愛する力をつける心のレッスン」 14頁と
    「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」の手記も類似度を持つ。
    果たして同一人物なのだろうか。

    「子どもを愛する力をつける心のレッスン」 14頁
    2001年7月3日発行
    「子どもを愛する力」をつける心のレッスン
    「家族のなかの孤独」第一章「私は生きている」
    1998年3月25日発行
    家族のなかの孤独―対人関係のメカニズム
    20代後半の若いお母さんが研究室を訪ねてきました。(14頁) 25歳の夏。夫に処方してもらった大量の睡眠薬を私は握り締めていた。(40頁)
    「私は実家が貧乏だったものですから、父が病弱だったもので、母がひとりで稼いで家族を養ってくれました。(14頁) 母は、元キャリアウーマンで、頭が良く、いろいろな才能を持っていた。 けれど病弱な父と結婚してその才能の全てを家庭につぎ込んだ。(18頁)

  • 話をもとに戻そう。前スレ608氏の書き込みにあった「マリア」とは・・・
    後は皆さんの推測にお任せしたい。
    ただ言えることは、608氏は、決して事実無根の誹謗中傷を書きたかったのではなく、
    強い真実の告発の気持ちを表明したかったのだと推察する。


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