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書評

白桃「草のつるぎ・一滴の夏」収録
野呂邦揚 著

受験生特集号5面

戦争。それは経験者にどのような形であれ、複雑な思いを抱かせるものである。

 本書の著者である野呂邦暢(のろくにのぶ)は、少年時代に戦争を経験している。長崎で生まれ育った野呂は八歳のときに、長崎に原爆が投下されるのを目の当たりにする。それによって野呂の家族は財産を失い、貧しい生活を余儀なくされる。

 そのような経験があってか野呂の作品には必ず、と言っていいほど「戦争」もしくは「軍隊」が題材として使われている。今回紹介する「白桃」も例外ではなく、戦後の食糧難の時代が背景としてある。その中で野呂は主人公(弟)とその家族の心のすれ違いについて、自分の経験と照らし合わせながら描写している。

 話は戦時中から始まる。父の出征を駅で見送るときに、弟は「お父さん、万歳」と叫ぶように、あらかじめ父に言われていた。しかし弟が叫ぼうとしたその瞬間、兄が「お父さん、万歳」と叫んだ。弟は何も言えなかった。そのとき父は、兄には笑顔を見せ、弟には失望の念を向けた。

 その後戦争に負けて父が帰ってきたが、父はいたく不機嫌だった。その理由は、戦前の財産が、爆弾によってすべて灰になったからである。しかし弟には、あの出征の日、「お父さん、万歳」と叫ばなかったことを父が根に持っているように思われた。そして弟は父を避けるようになる。

 そんなある日、父は兄と弟に闇米を売ってくるように言った。しかし米は売れず、二人は落胆の念を抱きながら家路につく。そのときには辺りは夜になっていた。すると二人の前に偶然にも母が現れる。弟は母に抱かれたくなった。そして弟は母のところへ行こうとしたが、またしても兄に先を越されてしまうのである。そう、父を見送ったときと同じように。そして兄に対するやりきれない思いを抱いたまま、話は幕を閉じる。

本書の中のこの家族の状況は、実際の野呂一家の、戦後のそれと酷似している。このことから、野呂は自分の少年時代のネガティブな性格の一部を、「弟」を使うことによって表現しているように思われる。そのような「弟」の心情や立場は、少年時代の野呂の複雑な思いを描写しているのであろう。「弟」のあまりの哀れさに、思わず同情してしまうのは、私だけであろうか。

本文の中で、野呂は「弟」の心情を具体的に表現している。残念なことに、そのことが文章の、文学的な面白さを多少削いでしまっている。主人公の心情を読者が推測する自由があることが、小説の面白味の一つではないのだろうか。

この作品を読んでいると、父にしても、弟にしても、戦争はここまで人間を変えてしまうのか、ということに驚かされる。もし戦争がなければ、この家族はきっと円満だったに違いない。小説の中ではあるが、そんな想像さえしてしまう程である。戦争経験者が少なくなった今、野呂は「小説」と言う手法で、戦争の悲惨さについて、戦争を知らない読者に示してくれている。

   ◆     ◆

 鋭い受験生なら、ここまで読まずとも、あることに気づいたであろう。そう、この話は今年の大学入試センター試験の、国語の小説の出典である。

受験生の諸君は、試験で出された出典の、その全文を読んだことはあるだろうか。もし試験で自分が面白い、と思える文章に出会ったら、その全文を読むことをお勧めする。そうすることによって、著書の全景が理解できるからである。本書の場合にしても、試験で出された部分からは、戦争による物質的な苦しみ、弟の兄に対する断片的な心情は理解できる。しかし、兄に対するもっと複雑な心情、父に対する心情、戦争が精神的に家族をばらばらにしてしまったこと。これらについては全文を読んで初めて理解できることである。

 勉強に疲れてリラックスしたい時、暇で何もすることがない時は、試験の出典を読んで過ごすのも一興ではないだろうか。  


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