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占い 受験生特集号の目次   大野

くもりのち晴れ

経済学部 吉田千尋

受験生特集号6面

「大学受験」のせいで皆変わってしまった。友人も、先生も、目に映る景色さえも…。私はその変化について行けず、一人、混乱していた。

私の高校は、東北地方の、ある進学校だった。先生は皆口を揃えて「東北で一番」の東北大への進学を薦めていて、それに逆らう理由もなく、私も東北大学を志望した。なぜ東北大を受けるのか、と聞かれても、先生が薦めたから…、という答えしか見つからない。そんな自分に憤りを感じ、勉強する意欲は薄れていった。

周りの友人たちの様子も変わってしまう。皆良い点数を取るために、と寝る間も惜しみ、昨日何のテレビを観たか、という話題は、昨日何時間勉強したか、に変わった。模試の成績を見ては、あの子に勝って嬉しい、あの子に負けて悔しい、と一喜一憂していた。

毎日通学途中に見るのは、今にも泣き出しそうな薄暗い空。道路に溶け残って排気ガスにまみれた雪。土埃で汚れた古い路線バス。全てに嫌気が差していた。将来の目標もまだ不確定で、今許されている未来は「東北大学合格」の六文字だけ。私はそれにしがみつくしかないのか。早く春が来て、何もかも終わって欲しい。その時自分が大学生になっていようがいまいが、どうでもいい…。

毎日を曖昧にやり過ごし、本当にこれでいいのか、という不安と、頑張っている皆への罪悪感で心が一杯になった頃、センター試験の判定結果が来た。東北大学経済学部、A判定。試験の出来はまあまあだったが、信じられなかった。皆に比べて、明らかに勉強量は少なかったのに、どうしてだろう、と良い点数を取れた理由が分からなかった。先生に誉められ、激励されても、これは運が良かっただけだ、と思い、自分に自信を持つことができなかった。

二次試験までの約一ヵ月間、学校で二次対策の課外授業が行われた。皆がセンターの挽回をしようと頑張っている中で、私はセンターが意外と良かったことに満足し、ますます勉強しなくなった。せっかくの課外授業なのにろくに予習もせずに臨み、授業中は寝てばかり。かといって家で復習や自己学習もしない。自分は最低の受験生だと思った。

もはや東北大学の受験は、私にとって、ただの「記念」としか思えなくなっていた。先生の言う通り東北大学を受けました。結果はこうでした。という受験の事実だけが必要だった。だいたい私が入りたかったのは文学部だったし、受かる可能性が高い、という理由で経済学部に変えたのだから、受かったとしても充実した大学生活になるかは分からない。

そして二次試験当日。試験場が開くまで、入口前で単語帳を眺めた。周りには私と同じように最後のチェックをしている受験生がたくさんいる。経済学部の志願倍率は二・九倍と、それほど高くはなかった。でも、ここにいる受験生の中に、自分ほど勉強していない人が半分以上いるだろうか。真面目に勉強してきた人がたくさんいる中で、やる気のない私が合格するわけがない。

試験場の教室に入ったのはなぜか一番だった。窓際の、一番前の席。外がよく見える。「もうこの景色を見ることもないんだろうな」と、窓の外の何でもない景色を心に焼きつけようとしてみた。机の上では、真っ白な答案紙が、太陽の光を反射している。そうやって試験場の雰囲気を感じているうちに、私は、自分のもやもやした心が晴れて行くのを感じた。「これが終われば家に帰れる、仙台にはまたいつか遊びに来よう。この受験は高校三年間のしめくくりだ」そんな思いと、両親や先生からの「頑張れ!」という激励の言葉、友人と交わした「頑張ろうね」という約束…。そういうものがぐちゃぐちゃに頭を駆け巡るうちに、私の受験は終わった。

合格発表の日、両親と仙台まで結果を見に来た。ここで自分のすべてが決まるような気がして、こわごわ番号を探す…あった!もう一度見ても、ある。合格したんだ。両親の喜ぶ顔。先生に報告の電話をする。「おめでとう。よくやったな」友人や部活の後輩たちにメールを送る。「すごい!おめでとう!」ああ、私は皆の喜ぶ顔を見るために合格したんだ。悲しい顔をさせなくて良かった。

青空の下、合格記念に撮った写真。そこに写った私は、心からの笑顔だった。


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