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シリーズ⑥ 来世を信ずること イスラム教徒は見る事の出来ない神を信ずると同様、来世をも信じている。 しかし死後を語り得る生還者は、未曾有である。コーラン23:99,100において:やがて彼らのだれかが死に臨むとき、こう言うであろう。 「主よ、私を帰らせて下さい。放置していた事について,必ず善を行います」決してそうではない。その言う処は単なる言葉だけである。 復活させられる日迄、彼らの後ろには障壁がある。 これらの節から来世とは死直後の生活の継続であり、墓の中では死と復活の中間である。 地上の世と異なり永遠で、より高度の生活の為、この世はつかの間の準備期に過ぎない。 地上での、我々の行為の結果は死後に裁定される故、道徳的な生活を営む必要がある。
肉体と精神の育成 我々の肉体と精神の発達段階についてコーランでは3段階とし、神により塵や土を素材に魂の息が吹き込まれ、胎児となり、そして誕生。
肉体
挨
胎児
誕生
段階
準備
形成
育成
精神
死
基
復活
我々の先祖アダムは大地や塵から創造された事は皆知るところである。 土が形を造る素となり、人体形成への準備である。 コーラン23:12、13、14 我々は土の精髄から人間を造った。 ついで、それを一滴として堅固な宿所に置き、その一滴から凝血を造り、そして凝血から肉塊を造り肉塊から骨を造った。 それから骨に肉を着せ、ー誕生 こうして彼を一個の他の生き物として造り出した。 もっともすぐれた創造者なる神が崇められん事を。
人間死後の状態は現世の生活における精神状態を反映するものである。 そして一定の合間をおいて、おまえ達は死ぬ。コーラン23:15
死 我々の肉体として発達した土の死は来世への高度な生活の始まりである。 この世での生きざまが直ちに天使により秤にかけられ、、、この世での、我々の全ての善悪行為があばかれる。
墓 死んで、彼が楽園の住人であれば神に会う事があるが、地獄の住人であれば会えない。 復活日に神から最後に呼び出され、彼の住居が決まる。 コーラン32:17 だれ一人、その所業に対する報酬として自分の為に隠されている喜びが何であるか知る事は出来ない。
復活 コーランによると、全ての業因が測定され、不義と信仰が復活への審判の対象とされる。 75:6-11「復活の日とは、いつの事か」等と尋ねる。目がくらむ時、具来の光が消え、太陽と月が一つに集められる時、その時になって、人間は、どこか避難する所は無いか等と言う。 いや、とんでもない事。避難する所など全然ない。75:20-25
おまえ達は、あわただしい現世を愛して、来世の事は放っている。 その日、幾つかの顔は輝き、その主を仰ぎ見る。その日幾つかの顔は曇る。 汝は何かの災難が、そうさせたと思うだろう。 18:49 そこで記録が出されると、罪を犯した者共がそこに記されている事におののく様が見えるであろう。 そして言う、「ああ、禍なるかな。いったいこの記録はなんたる事か。 大は勿論些細な事までも、一つ残さず数えたててあるとは。」23:102、103 査定の日、善行を積んで来た者は、量目が重く栄える。量目が軽い者は、自分自身を失い、地獄に永遠に止まる。 真に現世での我々日常の行為が、死後直ちに示され査定対象とされる。 いかに神は我々の行為を秤にかけられるのか? 地上での生きざまを量られた時、復活し報酬が与えれられるであろう。 預言者が伝承の中で「神は申された、私は人間には感じ得ず、見えず、聞こえないところの公正な召使い達によって準備して来ている」。 更に、イブン アバス によると:楽園での食物は現世での食べ物と異なり、復活以降は、すべて新天地楽園での物による生活となり、この世の空間や次元は当てはまらない。 男女の関係も清らかで出産も生じない。 実例として楽園での喜びと地獄での刑罰は何人も描き得ない。 コーラン32-17 だれ一人、その所業に対する報酬として自分の為に隠されている喜びが何であるか、知ることはできない。楽園の住人 秤にかけられ全般的に善行が、悪行より重ければ楽園に居住し、又この世での信仰の厚さによっても加減される。 神とこの使徒の言付けを守る者は、神が恩恵を垂れたもうた預言者達、誠実な人達、殉教者達、善行者達の仲間に入る。 これらの人々は何と立派な仲間である事よ。 コーラン4:69 敬虔な者は泉のある楽園に入れられる。 「心穏やかに安心してそこに入りなさい」我らは彼らの心にある憎しみを取り除いてやるから、皆兄弟の様に寝椅子の上で対面する。そこでは疲労を覚える事なく、追放される事もない。 おまえ達の所業の報酬としておまえ達が継承する楽園というのは、この事であるそこの果物の豊かさに満足する事であろう。 イスラムでは地獄の罪も決して永久的なものではなく、罪が消滅すれば、霊は大なる目的に向かって旅立てる。 神は慈悲深いお方。 言え、おお、自分の魂を浪費し過ぎた我が僕達よ、神のお慈悲に望みを捨てるな。
神は罪悪すべてをよく赦したもうお方である。 助ける事のかなわぬ懲罰がおまえ達に加えられる前に悔悟して、主の方へ顔を向け、主に寄依したてまつれ。 39:53,54
地獄での生活 後悔する事なく死んだ罪人は地獄の移住者となる。 地獄こそ、その様な者すべてに約束された所、そこには7つの門が在り、それぞれの門に彼らが振り分けられる。 地獄の者共とは無神論、多信論、不道徳や種々罪悪行為を続けた者共である。 15:43,44 コーランに地獄についての7種、それぞれの名称と説明がある。
Jahim飛び跳ねる炎の激熱、 Saqarすべてを溶かす劫火、 Laza吹きまくる火炎、 Jahannam深い落とし穴、 Hutana粉砕釜、 Sa"ir爆火、 Hawiah底なし穴。
地獄で罪人が投げ込まれる粉砕釜とは、104:4-9 彼らは粉砕釜に投げ込まれるのだ。 粉砕釜が何であるかを何が汝に知らせるのか。 焚き付けらた神の火、心臓の上にまで這い昇り、彼らの頭上に蓋をして、果て無く続く柱の列となる。
信者と不信者の事 22:19-22 この両者は、主について互いに相争う敵同士である。 不信者の為には火の衣服が仕立てられ、その頭上から熱湯が注がれる。 その為に彼らの内蔵も皮膚も溶けただれる、また彼らの為に、鉄の棍棒もある。 苦痛の為にそこから脱出しようとする度に、突き返される。 「火あぶりの懲罰を味わえ」
彼らの飲食と食べ物:37:62-67 ザックームの木がよいか。 我らはザックーム木を不義をなす輩の為に懲罰として造ってやった。 それは地獄の底に生える木で、その果実はあたかもサタンの頭のようである。 彼らは、その木の実を食べ、胃袋を満たし、その上に熱湯を飲まされる。 コーランの幾つかの章に罪人の地獄におけるありとあらゆる苦痛に悩まされる状況が述べられている。 4-56
我らのしるしを信じない者は、いまに火に投げ込んでやる。 皮膚が焼けただれる度に我らは何度でも皮膚を取り替えて、彼らに懲罰を味わわせてやろう。 誠に神は威力あり、聡明であらせられる。 コーランでは来世が現世の延長に過ぎないこと人間死後の状態は現世の生活における精神状態を反映するものである事、来世において、その報いを受けなければならない。 17:13、14 我らは全ての人の首にめいめいの鳥(運命)を結び付けておいた。
復活の日に、我らはめいめいに一巻の記録を開いたまま出して実見させる。 「さあ、おまえの記録を読め。 今日は、おまえの清算はおまえ自身で十分である」