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第11回リサイタル曲目解説・歌詞対訳


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「メンデルスゾーン男声合唱曲」解説
 メンデルスゾーンはドイツ・ロマン派の巨匠であるが、内的感情をあからさまに表
現するロマン派独特の作風とは異なり、建築物を作り上げるような古典派への傾倒を
持ち味としている。したがって、音楽は官能的というよりは端正で、ときに知的な印
象さえ受ける(彼の評価が二分するところでもある)。彼は合唱曲も多く書いており、
今回は、その中からリーダーターフェル(卓を囲んで歌うの意、男声合唱が発展する
原動力となった19世紀初頭のドイツで生まれた音楽スタイルの一つ)のために書かれ
た世俗曲から6つを選んだ。仲間が集まって食を共にし、乾杯して合唱するという庶
民的雰囲気の中にメンデルスゾーンの格調高さがにじみ出ているところに最大の魅力
が感じられる。まぎれもなく傑出した合唱作品である。

1.楽しきさすらい人(作品75の1) 自然の美しさを讃えて神への感謝を歌っている。

2.乾杯の歌(作品75の3) 酒場の食卓を囲んで男たちが気のおけない雰囲気で好
  き放題言い合っている様。酔っぱらいといえども何か気品がただよっている。

3.小夜曲(作品75の2) 愛しい相手(女性)を思い描いた我々(男性)にしか歌
  えない甘美な曲。男声合唱だけがもつ独特のハーモニーが聴きどころ。

4.ジプシーの歌(作品120の4) 真っ暗で不気味な夜の森、しかし、ジプシーには
  恐いものはない。何もかもが自分の手のひらの上の出来事のようにあやつられるのだ
  と歌う。

5.狩人の別れ(作品50の2) 狩猟を終えた人々が感謝の意をもって森をたたえる
  歌。メンデルスゾーンの合唱曲の中では最もよく知られている一つである。

6.喜び求めて果てることなく(作品番号なし) 「この世に永続する喜びはないの
  か?」答えは、それを求め続けることこそが喜びであると歌っている。ソロカルテッ
  トとのかけ合いの中で様々なバリエーションをもって曲が進行する。


メンデルスゾーン訳詞

楽しきさすらい人 人は神の恵みにより真の喜びを与えられる 人は広い世界へと飛び出し 新鮮な驚きを体で感じるのだ 丘に、森に、川に、野に。 山泉から水は流れ ひばりは楽しく歌う 自分も歌わずにいられようか? 澄んだ声に心はずませて 全てのものは神の意のままにある 川、ひばり、森、野、 それに天も地も そして(神は)きっと私の望みをかなえてくれる! 乾杯の歌 人は酔っぱらっていないとき 悪いことを好む、 だがいったん酒を飲み始めると 何が良いかがわかるのさ。 (ってえらそうにいったけど)グラスを傾けながら ただ好き勝手に言ってるだけなんだ ハーフィス注)よ、教えてくれ おまえはどうやって賢く生きたんだ。 おれははっきりとこう思っている 飲めない奴には恋はできないと。 だからって酔っぱらいども、 自慢するなよ 恋をしない奴に酔っぱらう資格がないなんて。 注)ハーフィス ペルシアの叙情詩人。近代ペルシア文学の最高峰とされ 賢人として知られる。 小夜曲 おやすみ、愛しい人よ 今、地上のものは静まりかえった! 空には金色の星が輝き 羊飼いはみんなの番をしている。 (琴の音は)木に枝にからみつき おまえのひっそりとした寝床へと届く 金の梯子を昇るように 上がっては入り、また下りてくる。 どうかこの心地よい響きを運んでおくれ なまめかしく動く風よ 戸をくぐり、壁をぬけて 夢見る愛しいあの子が聞き取れるように。 ジプシーの歌 霧深く、雪深く、 不気味な森の寒い夜。 飢えた狼の声が聴こえる ふくろうの騒ぎ声が聴こえる ホー、ホー、ホー! 私は一匹の猫を仕留めた 魔女アンが飼う黒猫を すると狼が七匹私に近づいてくる 牝狼だ。 ホー、ホー、ホー! 私はその七匹をよく知っている アン、バビー、ウルシー、カーテ リーゼ、エヴィ、ベット 輪になって私に迫ってくる。 ホー、ホー、ホー! 私は彼等の名を呼ぶ アンはどこだ?ベットはどこにいる? すると狼は驚いて震えだし ちりじりに逃げていく。 ホー、ホー、ホー! 狩人の別れ 美しき森よ、 誰がお前をそんなにも崇高につくられたのだ? 私は主を褒め称えよう。 声の響きわたるかぎりに! さようなら!美しき森よ! 深く入り組んだ森の中 鹿が孤独に草を食んでいる 我等は角笛を吹きながら去ってゆく その響きは森にこだまする。 さようなら!美しき森よ! 我等は静かな森に誓う 尊敬の念を忘れず 永遠に忠実であり続けることを 森に歌声が響きわたるかぎり! さようなら!美しき祖国の森よ! 神はお前を守っている! 喜び求めて果てることなく グラスの酒の心にしみる味 だがあの子は行ってしまった。 キスはこの酒よりずっと美味い だがその味もやがて消えてゆく。 胸にせまる甘い歌声 それは切なく苦しいもの。 しかし何と急いで 薄れて消えていくのか。 この世に長く続く喜びはないのか? グラスを重ねよう! キスを重ね、歌い続けよう! 喜び求めて果てることなく。

ディズニー名曲集 解説
Walt Disney (1901〜1966)は、1928年 世界初のトーキー(音声同調) アニメーション映画、蒸気船ウィリー号の公開で大成功を収め、その後シリー・シン フォニー(音楽をテーマとしたアニメーション映画)シリーズを製作。花と木(19 32)三匹の子ぶた(1933)などの傑作を生み、音楽が単なるムード作りではな く、物語を語り、個性を表現する、いわゆる「映画音楽」を生み出しました。本日は 数多くのディズニー作品の中からWalt Disney自身が製作に関わった映画より6曲を 演奏致します。 1.Alice In Wonderland (不思議の国のアリス)   −不思議の国のアリスより−(1951年)  ルイス・キャロル原作のアリスの物語を題材にした映画を作りたいというディズ  ニーの長年の願いがかなった作品。幻想的な世界を狙っています。 2.Love Is a Song (愛の歌声)   −バンビより−(1942年)  森で育つ鹿の物語のテーマソング。映画ではこの曲で始まりこの曲で終わります。 3.I Bring You a Song (あなたに歌を)   −バンビより−(1942年)  青年になった鹿のバンビが愛し合う雌鹿ファリーンと森の中を歩くシーンに使われ  た曲です。 4.Heigh-Ho (ハイホー)   −白雪姫より−(1937年)  初の長編アニメを成功させる為、作詞家ラリー・モリー、作曲家フランク・チャー  チルが25曲作り、その中の8曲だけが採用されました。ハイホーはその中の一曲で  す。 5.When You Wish Upon A Star (星に願いを)   −ピノキオより−(1940年)  ピノキオに人間の魂を与えてくれるよう祈る時にこおろぎが歌った。クリフエド  ワーズが歌いアカデミー主題歌賞を受賞しました。 6.Let's Go Fly a Kite (凧をあげよう)   −メリー・ポピンズより−(1964年)  メリー・ポピンズはハリウッドで最も優れたミュージカル映画といわれています。  優秀なスタッフと一流タレントをそろえました。

現代曲訳詞
イソタロのアンティとランナンヤルヴィ(フィンランド伝説民謡) イソタロのアンティとランナンヤルヴィ 二人が話し合っていた。 おまえがカウハヴァの醜男 検察官をやっつけろ、 そうすれば俺があいつの別嬪後家を嫁にする。 まず二人は戸口をこわし、 それから寵を打ち砕いた。 仲間のなかで一番大きい 大男アンティが先頭だった。 イソタロのアンティが一番のりで、 ランナンヤルヴィが二番目で、 カウハヴァから来たプッキラのヤスカ 似たような野郎が三番目。 「こんちくちょう」ランナンヤルヴィは言った。 「この俺様が人を恐れるものか! タール漬けの縄で口輪をかけて、 鉄棒で背中を打ちのめすのだ。」 「跳べ、跳べ、跳べ!」駿馬にまたがり 踊らせながら、ランナンヤルヴィは言ったのだ。 またもや極道息子は出ていった。 あの彼の貧しい家を後にして。 ランナンヤルヴィのことを歌うのはやめよう ランナンヤルヴィは死んだのだ。 ランナンヤルヴィの墓場には 大理石の墓石が運ばれてきたのだ。 用意はいいか?(James Broughton) 「用意はいいか?」と北は言った。   大海原を越えていく用意は? 「用意はいいか?」と西は言った。   太陽と共に沈む用意は? 「用意はいいか?」と南は言った。   あてのない旅の用意は? 「用意はいいか?」と東は言った。   やり直す用意は? 大きなラルラ(Christian Morgenstern) (詩の意味はなく、ただ擬声音の効果によるのみ)

「アンッティ・イソタロとランナンヤルヴィ」解説

作曲者ラウタヴァーラの父方の祖父グスタヴ・イェルンベリに捧げられた曲。 彼はヤラスヤルヴィの治安官として、この歌に描かれているような悪党に対し て武器を取って立ち向かった。作曲家のルーツである南オストロボスニアへの 郷愁を誘うという点で個人的な思い入れの深い作品である。「厳粛に長々と続 く最後の部分は、広々とした農作地・・・その遠い末裔はすっかり都会化され てしまったが、今でも創造力の究極の源泉と感じられる・・・に対する、素晴 らしく長く、感謝の念に満ちた捧げ物である」とラウタヴァーラは語ってい る。
2人のアンッティ;アンッティ・(ヘイキンポイカ・)イソタロ( 1831-1911)とアンッティ・(トゥオマーンポイカ・)ランナンヤルヴィ(1828- 82)は南オストロボスニア地方の悪党、ナイフを振り回してはもめ事を起こ す、今風に言えばフリーガンのような存在として有名だった。彼らは1850-60 年代に、カウハヴァに隣接するハルマ(アラハルマとユリハルマ)で、フィン ランド大公国の役人と法律を侮辱したかどで何度も裁判にかけられた。ランナ ンヤルヴィは生きたように死んだ・・・即ちナイフによって。一方のイソタロ はすっかり生まれ変わり、悪行をきっぱりと断って立派な市民として暮らし た。
彼ら悪漢たちが法の支配下に置かれるようになったのは、「カウハヴ ァの醜い治安官」と呼ばれたアドルフ・ハッグルンド(1838-1903)の時代にな ってからだった。兵隊上がりのハッグルンドは簡単には怖じ気づかなかった。 彼はカウハヴァとハルマの法と秩序の回復に着手した。彼が治安官に任命され たのは1864年3月30日のことだが、そこにはやはり元兵士のオットー・チョリ ンが副治安官および橋の管理人として加わった。強靭な性格の持ち主であるチ ョリン(別名「クリーニ」)は、伝説的な悪党、マッティ・ハーポヤを逮捕し て名をなした。
2人のアンッティとその配下の行状で最も有名なのは、ア ラヴィータラの反乱(アラハルマの巡回裁判での事件)と「ヒッリのナイフ踊 り」だろう。
両アンッティは1867年10月に西海岸のヴァーサにあるコルス ホルマ地方刑務所に収監された。彼ら一味の裁判は2年以上かかり、1870年夏 にようやく慶賀確定した。イソタロはカコラ刑務所で禁固12年、ランナンヤ ルヴィはトゥルクでの重労働と賠償金の支払いを命じられた。両者ともにシベ リア送りは免れた。
ランナンヤルヴィはすでに1850年代にスオメリンナ( ヴィアポーリ)の要塞で5年間の重労働に就いていた。
悪党たちの挑戦的 な態度は、大胆さを漂わせたテノール独唱に最も典型的に表れている。ラウタ ヴァーラは有名な歌詞の全文を使ったわけではない。使われなかった歌詞の中 に次のような一節がある。
ヴァーサの血は衰えることなく
カウハヴァ の鉄が錆びることもないだろう。
奴の首根っこを捕まえて背中にナイフを 突き立ててやれ。
他のやり方が嫌だと言うならば。

「人生の書」解説(6曲目が"Are you ready?")

1971年にヘルシンキ大学合唱団からの提案および委嘱を受けて作曲された。男声合唱の ためのア・カペラ曲としては、世界的に見ても最大規模の作品の1つだろう。当初、作 品66とされていたこの長大な連作歌曲は、様々な詩人のテキストに作曲した11の曲で 校正されている。
作品は1972年に完成、当時のヘルシンキ大学合唱団、ヘイッキ・ペルトラに献呈され た。この作品には5つの異なる言語が使われている。英語が3曲、フランス語が3曲、 ドイツ語とフィンランド語が2曲、スウェーデン語が1曲である。作品全体のテーマ は、人間の一生・・・文字通りに揺りかごから墓場まで・・・で、第1曲は子供時代を 描き、また最終曲は、ラウタヴァーラが将来の自分の葬式に演奏して欲しいとの希望を 出している。1975年2月15日にヘルシンキ大学合唱団によって全曲が初演された。
この作品についてラウタヴァーラはこう書いている。
「<人生の書>はひとりの人間の物語ではない。しかし、芸術作品の必然として、個人 的な物語である。どの詩も、私が人生の過去の局面、あるいは未来の局面に耳を傾ける 時に聞こえるものと同じ波長を持っている。それは必ずしも私個人の人生ではなく、集 合的な意味の人生であり、例えば、合唱団員は個人であると同時により大きな存在の一 部であるのと同じようなものだ。最初の詩はたぶん最も個人的なものと言えるだろう。 どこか夢のようで、重苦しい子供時代のイメージ。それは不思議なことにいつの間にか 世界から削除され、ほとんど触れることもできなくなる。詩人が、池の水面に映るイメ ージについて書いている部分は、音楽の鏡像的な和声に対応している。また、最後の曲 は、詩人の汎神論を私が個人的に是認したものと言うことができる。
最初の曲のモチーフは最後の曲でフガート主題として戻ってくるが、音程が転回されて いる。」
人の一生の各時代を時間に沿って並べたものがこの作品を貫く論理的な糸になっている わけである。

第6曲「準備はできた?」(ジェイムズ・ブロートン)

詩集「便り」(1965)所収の「海の隠者」の一部。作者はむしろ映画と演劇の世界でよく 知られている。

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