状況・分野によって変化する英語の必要語彙


英語をペラペラしゃべっている子供は学校の勉強に支障がないと勘違いされがちであることは別のセクションで Conversational Englishと Classroom Englishの違いという形で説明しました。ここでは、アメリカで生活する子供の学習成長にともなう語彙について考察してみたいと思います。

語彙の面を見ると、もちろん重なる部分はあれ、Conversational Englishは Classroom Englishに比べてはるかに少ない量で機能するというのは、就学以前の子供達や文盲で英語を母国語として話す人々が生活上他人との意思疎通を大きな問題なくこなしているという状況から見てもわかります。本を読むことからも語彙は増やせますが、重要なのは、実際の会話がなされる状況で、どんな単語や表現、そして内容が最も必要とされるのかを体得していくことです。ただ、必要とされる英語は状況によって変わりますので、ある状況ではペラペラ話せたのに別の状況では語彙が足らず全く話せないという現象も起こり得ることを念頭に置く必要があります。例えば、幼い時期に学んだ英語が大人になってビジネス環境で通用するわけではありませんし、ビジネスや大学環境で学んだ英語で子供の遊び相手ができるわけではないということです。ですから、より広く様々な環境で通用するConversational Englishを習得するには、活動の場を見直したり増やしたりする努力も必要です。子供の英語環境活動の中心は現地校での生活になると思いますが、買い物や外食に連れていったり、コミュニティのイベント参加や、高校生ぐらいになればボランティア活動などから、学校の先生以外の大人とのコミュニケーション、および、学校活動とは別の活動内容から、新しい語彙や表現を学ぶこともできるでしょう。

Classroom Englishに必要な語彙というのは必ずしも日常会話・意思疎通に必要なものではありません。そして、Classroom Englishと言っても科学系と文学系では必要とされる語彙にかなり差があります。科学系は文学系に比べて覚えなければならない専門用語は多いと思いますが、学習内容の説明そのものは非常にシンプルでわかりやすい英語ですので、基礎文法の理解と基本語彙さえ習得すれば、応用語彙の習得も楽になると思います。特に、算数・数学でしたら日本語と共通の数字を操作するということもあり、質問の文章の型さえ理解すれば、課題をこなすのが容易くなります。日本で数学が苦手だった子供がアメリカに来て得意になってしまったというのはよくある話ですが、もともとの数学知識の問題だけでなく、英語がわかりやすく、課題に取り掛かりやすいということもあるのだと思います。数学だけでなく、理科や社会の教科書なども、学習概念・用語を説明する重要な文章や段落、理解を強める補強的な説明部分などの見分けがつきやすく、慣れてくると読み進める上で特にどの部分を時間をかけて読めばよいのか、どの語句がより重要で覚えなければならないのか、要領がつかめてきます。教科書の英語はシンプルでわかりやすい構造で、レポートなどを書くよい手本にもなります。

文学は科学系読み物とは全く異なり、知っていなければならないとされる語彙も系統化するのが難しいもので、語彙習得が最も困難であると思われます。科学系読み物(説明や論説など)では状況を最も的確に表す言葉がほぼ一貫して反復的に用いられますが、文学は微妙なニュアンスの差を、状況によって的確に表すことはもちろん、いかに機知に富んだ表現を用い、読者の想像力を膨らますことができるのか、別の言い方をすれば、新聞や雑誌の記事なども含む科学系スタイルの読み物が読者の理解を目的としているのに対し、文学は読者の感覚的経験を目的としているため、語彙や表現が作者によってまちまちで統一性に乏しく、語彙の中には日常生活には使われない文語的表現も含まれていたりして、科学系読み物に比べて反復学習性に欠けるため、語彙は長期間で習得し続けなければならなくなります。そのため、現地校教育を途中から始めた子供が他の子供達に追いつくのに最も時間のかかる分野でもありますし、特に絵本を離れ、比較的長い物語などを読み始める頃から、読んでも読んでも辞書を引く回数が減らず、読書嫌いになる子供もいると思いますので、語彙や表現の反復性を少しでも高めるために同じ主人公のシリーズや同じ作者の本を継続的に読ませ、語彙を増やすようにするといいと思います。


【おまけ:文学的英語の必要性】

大学進学のためにアメリカの高校生が受けるSATやACTと呼ばれる共通試験に出るボキャブラリを見ると、留学生が受けるTOEFLと比較にならないほど多く、TOEFLのように比較的短期間で点数を伸ばすのが難しいものです。留学生や派遣社員など多くの米国滞在者が新聞や雑誌、専門に関する書籍は英語でこなす反面、娯楽目的の読書だけは母国語になりがちというのも、文学作品の(語彙を含めた)文章的な presentationの仕方が他の分野と比べて特異であり、上に述べた通り、語彙など反復学習性が低い分、長期間の積み重ねなしでは消化するのに時間のかかるものであるからだと思います。

留学生が大学に入学するのにSATのボキャブラリの代わりにTOEFLのスコアを考慮してもらえるということから考えても、米国で生活するために文学的英語学習が必要なのかどうかという疑問を持たれるかもしれません。(*Conversational Englishでも科学系読み物でもほとんど使われない言葉や言い回しという意味。)実際、話し言葉でも書き言葉でも意思疎通にまず役立つのは簡潔でわかりやすい科学系スタイルだと思いますし、科学系で習得した語彙だけでもかなり詳しい話ができます。国際的に活躍できる仕事をしたいとか、米国で生活を営んでいく点でも、意思疎通という目的では文学的英語は特に必要はないかもしれません。

何語であれ、文学的読書は、科学系読み物や映像とは異なり、ちょっとした言い回しや言葉の選択の違いで、登場人物の姿や声まで読者が勝手に想像&創造できる自由さがあります。私がアメリカで育っている、特に長期滞在・永住予定の子供達に文学の読書と学習を勧めたい理由は、説明や論説スタイルの科学系読書だけでは知識や語彙は増えても「自分が主人公だったら…」「私だったらこうしたのに…」という自分に置き換える感覚的経験や想像力が乏しくなるからです。(ただ、この場合は日本語の読書でも補うことはできると思いますが。)同様に、表現力も、意思疎通はできたとしても、自分としての自分らしいちょっとした個性的な色付けの仕方を学ぶことができません。(説明文や論説文を読んでも筆者の性格や雰囲気など想像できませんよね。)言葉の持つ文字どおりではない裏の意味の面白さやただ口にするだけで得られるような音の楽しさを味わったり、それを周りと共有すること(=文化的共有)も難しくなります。(たとえば、どんなに英語が流暢な人でも言語文化的共有が弱いと、アメリカのユーモアを理解するのが困難になるというようなこと。)

多くの方が経験しておられると思いますが、滞在が長ければ長いほど、コミュニティの一員として、自己表現の仕方も含め文化的共有の幅も広くしていかないと、孤独感がひどくなると思います。親は既に日本人としての生き方が確立しており、孤独感に苛まれても心の拠り所はあると思いますが、子供は現地校生活が長期になれば、日本人としての生き方を確立するのも難しくなり、文化的共有の幅が狭いとアメリカのコミュニティにも十分溶け込めず、心の拠り所を求めるのが難しい根無し草のような状態になり兼ねません。(“セミリンガル”状態とも言われているようですね?)文化の凝縮された文学との関係をどう位置づけるかで、“自分が何者であるのか”という問題に対する子供自身の考え方、そして、将来の子供の生き方が変わってくると言っても過言ではないと思います。

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01/03