岩月氏のベストセラー「女は男のどこを見ているのか」には、猫に関する例えが頻出する。
岩月謙司著 「女は男のどこを見ているのか」155-156頁(2002年9月20日発行)
もし、あなたが猫を撫でたとしましょう。
もし、猫が悦んだら、あなたにスリスリしてきます。
そのとき、あなたは、もっと猫を撫でたい、という気分になっているはずです。
なぜなら、猫からは「気持ちいいよ」「撫でられてうれしいよ」というサインが
来ているからです。その悦びのサインを受け取るから、もっと撫でたくなるのです。
そして、うれしくもなります。うれしさというのは悦びですから、
ますます愛情を込めて猫をなでるようになります。
猫は、あなたに、より情熱をこめてかわいがられるので、ますます親愛のポーズをとるようになります。
ますますあなたはうれしくなって、ますます猫もうれしくなります。
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この文章から、ペット(猫)を撫でるにしては、妙に性的で淫靡なものを感じた。
岩月謙司著 「女は男のどこを見ているのか」136-137頁(2002年9月20日発行)
それは、常識に縛られたり、常識に惑わされたりされてはいけない、ということです。
非常識なことをしろ、というのではありません、自由にものを考え、自由に生きて欲しい、
ということです。常識にしばられると自己改革はできない、ということです。
なぜなら、改革とはそれ自体が非常識なことをすることなのですから。
非常識なことをするのが改革ですから、常識に縛られた人がリーダーになったのでは必ず失敗します。
ですから、もし、あなたが修行していて私もうれしい、あなたもうれしい、という関係が成り立ったとき、
自分のしていることが世間一般の常識からはずれていないかどうかは考えなくていい、
と言いたいのです。
みんなにウケる生き方ではなく、自分にウケる生き方をするのです。
たとえば、猫を撫でるのが楽しくて、雨の日も風の日もエサをもって神社を
訪れても、別に非常識ではありません。
人に軽蔑されようが、かわりものと言われようが、そんなことをするのは
あなたぐらいだと数の論理で批判されようが、そんなことに惑わされてはいけません。
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前段の文章は、岩月氏の読者へのアドバイスであり、
後段の文章は、その実例である。
岩月氏はこんなに猫が好きなのだろうか。神社を訪れて猫にエサをやっていたのだろうか。
その程度の事は改革でも非常識なことでも有り得ず、
他人に批判される事でも有り得ない。
よって、「猫にエサをやり、猫を撫でること」とは、何かの隠喩だと推定した。
この当時(2002年9月)、岩月氏が批判されていた事は、「育て直し」である。
1999年頃から香川大学内でも問題になっていたそうである。(未確認)
そして、2002年2月にNNN’02ドキュメントで「育て直し」のオムツに哺乳瓶がTV放映され、
多くの批判を受けたそうだ。
岩月謙司著 「なぜ母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか」 4頁(2004年6月20日発行)
現在のカウンセリングでは、身体的接触をともなうことは御法度です。
そのせいか、(育て直しが)マスコミで取り上げられると、「形を変えた援助交際ではないのか」
「『幼児プレイ』ではないか」「セクハラではないか」など、たくさんの誹謗中傷を受けました。
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岩月氏は「現在のカウンセリングでは、身体的接触をともなうことは御法度です。」と
自身の「育て直し」が非常識であることを認識しながらも、批判そのものは「誹謗中傷」と捉えている。
つまり、2002年9月時点で岩月氏は「クライアントの育て直し」を、改革と捉えており、
非常識と批判されようが構わず遂行していたと推定される。
従って、「猫を撫で、エサをやること」とは「クライアントに育て直しを施すこと」の隠喩と推定され、
155頁の猫を撫でる文章は、クライアントの育て直しの際の愛撫を隠喩で記載したと推定される。
岩月謙司著 「女は男のどこを見ているのか」 152頁(2002年9月20日発行)
陰徳の基本は、人知れずしてやる行為です。
・・・略・・・
第一に心がけることは、約束を破らないことです。
約束を破ることは、相手からの信頼を破ることですから、もっとも魂がよごれる行為です。
猫と約束したことも、破ってはいけません。
自然の中では人も猫も等しい存在だからです。
たとえば、神社にいる捨て猫に、今晩エサを持っていってあげるね、と言ったら
たとえ雨が降ろうが、雪が降ろうが、エサを持っていってあげなければいけないのです。
行くことで、あなたの魂がきよくなるのです。
・・・略・・・
タクシー代を1万円払ってでも、猫にエサを持っていくことが重要なのです。
魂が汚れ、気色悪いサインが体から出るマイナスを考えれば、一万円は安いものです。
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「猫」にエサをやるためにタクシー代を1万円払うのは理解不能だが、
「育て直し」と称してクライアントと性交渉する為ならば理解できるであろう。
また、この文章から「陰徳」とは「育て直しの際の性交渉」の隠喩だと推定される。
岩月氏は「なぜ母親は、息子を「ダメ男」にしてしまうのか」で、
すいぶんと「猫」を蔑んでいる。
「猫」がクライアントを指すとすれば、
「英語を理解できない猫」とは何の隠喩だろうか。
岩月謙司著 「なぜ、母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか」 2頁 (2004年6月発行)
たとえは変ですが、猫をつかまえてきて
This is a pen. をしゃべらせる努力をしているようなものです。
相手が猫では100年調教しても無理でしょう。
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岩月氏は、「なぜ母親は、息子を「ダメ男」にしてしまうのか」108頁にて
英語で論文を書いた基礎科学者を褒め称え、洗脳されることはないと主張している。
岩月謙司著 「なぜ母親は、息子を「ダメ男」にしてしまうのか」 108頁
(洗脳されてしまう理由は)科学的に、統計学的に処理していない、という誤りです。
何人中何人が自分の不幸を願ったか、不幸が願われるたびにメモし、
サンプルが50から200くらいたまったら、それを統計処理する、という作業を
しないのです。「不幸を願われている」という思い込みで思考をしてしまうのです。
これでは正しい結論を導き出すことは不可能です。
もちろん、現実にそんな統計処理をするのは基礎科学をやっている科学者くらいかもしれません。
それも英語で国際的な論文を20編以上書いている科学者でしょう。
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「なぜ母親は、息子を「ダメ男」にしてしまうのか」162頁など、他の著作の記載を参酌すると、
「英語で国際的な論文を20編以上書いている基礎科学者」とは岩月氏自身と思われる。
岩月謙司著 「なぜ母親は、息子を「ダメ男」にしてしまうのか」 108頁
真実を追求するために科学者は実験し、自説を論文にして発表します。
私も科学者として、英語で国際的科学ジャーナルに論文を発表しています。
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岩月謙司著 「女は男のどこを見ているのか」 178頁(2002年9月20日発行)
私自身も基礎研究を進め、筑波研究所時代の四年間に、7本の論文が国際科学誌に掲載されました。
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つまり、英語とは岩月氏の知的なプライドの基礎である。(※1)
そして、英語を理解できない猫とは、
「育て直し」の真意を理解できず、岩月氏に洗脳されてしまったクライアントの女性達の隠喩と推定される。
※1:実際には岩月氏の英語力は余り高くない。例えばホテルのスウィートルーム(suite room)を sweet room と理解していた。
岩月謙司著 「母親よりも恵まれた結婚ができない理由」 219-220頁(2000年7月25日発行)
英語で sweet as honey (ハチミツのような甘さ)という表現をするのは、
アメリカ人にとってハチミツとは、砂糖のように甘ったるくなく、しつこくなく、
気持ちいい上品な甘さとして位置付けられているからです。
その他、スウィートホームとか、ホテルのスウィートルームも同じ理由で名づけられたのでしょう。
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