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岩月謙司氏のSEX観の検証

  • 岩月氏の著作から、SEX観に関する部分を抜粋してみた。

    岩月謙司著 「自分にウソをついて何になる」 163頁 (2000年11月初版)

    自分にウソをついて何になる 彼ら(縄文人)のしたセックスは、母が赤ちゃんを
    だっこするようなやさしいスキンシップだったのです。

    あくまでソフトでやさしく、貴賓あふれるものだったのです。
    必ずしも射精を目的としない肌と肌とのふれあいだったのです。
    タントラと呼ばれているものです。
    タントラとして現代に伝わっている書物から想像すると、
    縄文人たちは一時間でも二時間でも結合したままでいたことでしょう。
    同じ行為をしても、どんな心でそれをしたか、どんな気持ちでそれをしたかによって、
    まったく別物になってしまう世界、それが男女の交合の世界(結びの思想の世界)です。
    性というものがエッチで卑猥でいやらしいと思っているうちは、タントラ的交合はできないようです。

    岩月謙司著 「母親よりも恵まれた結婚ができない理由」 250頁 (2000年6月初版)

    母親よりも恵まれた結婚ができない理由(わけ)―女性の「オトコ運」を母の嫉妬がくるわせる 神聖で崇高なセックスは、一時間以上も結合したままでいられます。
    愛の交歓ができると結合してじっとしていても充分気持ちがいいのです。
    いえ、その方が気持ちいいのです。
    こうなると、セックスというよりもスキンシップといった方が正確かもしれませんね。

    岩月謙司著 「女性のオトコ運は父親で決まる」 193頁 (1999年10月1日初版)

    女性の「オトコ運」は父親で決まる スキンシップの目的は、心の癒しです。
    ・・・略・・・
    人は、誰でも心に傷を持っているものです。
    その傷は、たいてい子ども時代に受けた傷です。
    その傷を癒す作業、それがスキンシップでもあるのです。
    そして、セックスというのが究極のスキンシップなのです。
    ・・・略・・・
    そして、お互いに生まれたままの姿になって癒し合うのです。
    お互いが、母親役をやったり幼児役をやったりするのです。
    女性だけが母親役ではありません。
    お互いが親になったり子になったりしながら、子どもの頃の傷を癒し、
    かつまた、今日受けたストレスを愛に置換するのです。

  • 岩月氏は、セックスにより心の傷を治癒する効果があり、
    かつ、母親が赤ちゃんや幼児を抱きしめるようなセックスを理想と考えていた。
    次に、気持ちいいセックスをするための必要条件についての記載を紹介しよう。

    岩月謙司著 「女性のオトコ運は父親で決まる」 194頁 (1999年10月1日初版)

    女性の「オトコ運」は父親で決まる

    こうした心の交信は、誰でもが簡単にできるというわけではありません。
    体だけが裸になっても心を裸にしないと癒しの機能が働かないのです。
    心を裸にするには、自己分析と智恵、そして思い残したことをはらす、という心の満足が必要なのです。

    • Q・気持ちいいセックスをするための必要条件は何ですか?
    • A.もう、おわかりのことと思いますが。愛と信頼です。
      特に、不信感(人間不信)があるとダメです。
      人間不信とは、先ほどにも書きましたように、
      自分の親以上に、自分の幸福を願い、自分を愛してくれる人なんてこの世にいるはずがない
      という世界観です。
      親から否定的に育てられるとこうした世界観ができあがってしまいます。
      ・・・略・・・
      こういう世界観を改めない限り、愛を心に入れることはできません。

  • ANSWERは主語が全て省略されているが、
    「親から否定的に育てられた人」から解釈すると、育て直しのクライアントを指すと思われる。
    岩月氏のクライアントの殆どは親との関係に問題があり、それに起因する神経症的症状になやんでいた為である。
    そして、「不信感」とは、クライアントの親代わりとして「育て直し」を行う岩月氏への不信感だと推定される。
    それは、「自分の親以上に、自分の幸福を願い、自分を愛してくれる人なんてこの世にいるはずがない
    から、肉親でないにも関わらずクライアントを愛する人への不信感という点から読める。

  • この文章を反対解釈すると、育て直しのクライアントが岩月氏に100%の愛と信頼を寄せた時、
    岩月氏はセックスで「心の癒し」をおこない、愛をクライアントに入れると解される。

    もし、「気持ちいいセックスをする」のが女性ならば、 パートナーの男性を信頼するのは当たり前だと思うのだが、 何故か女性に絶対的な100%の信頼を要求しているのは不思議てあった。

    WebMasterが催眠の本を読んでわかったことだが、 100%の信頼とは 催眠に掛かるための一番大きな条件である「ラポール(信頼感)の形成」のことを言っている。
    つまり、相談者が岩月氏に絶対の信頼感を持ったとき、岩月氏は相談者を催眠に掛けて、愛を心に入れたのだと思われる。

  • 「心の教育、あしたの風」には、「愛情を徐々に注入して回復」と記載されている。この文章の目的語は「相談者」である。

    岩月謙司著 「心の教育、あしたの風」 93頁 (1999年6月30日初版)

     心の教育・あしたへの風 それから(相談者に)愛情を徐々に注入して、回復するのに1年のプログラムが必要です。

    更に、「女性のオトコ運は父親で決まる」 108-109頁にも、岩月氏のセックス観が記載されている。

    岩月謙司著 「女性のオトコ運は父親で決まる」 108-109頁(2002年9月1日新装版:初出1999年10月)

    女性の「オトコ運」は父親で決まる    新潮文庫 受容というのは、自分を受け入れてもらうことだ。
    その究極の形がセックスということなんだ。
    一方、キミは愛されたい願望をもっている。
    セックスというのは、まさに体に愛を注射するように 本来もっとも愛を注入できる手段だ。

    岩月氏は、「女性のオトコ運は父親で決まる」に、セックスとは愛を注入する手段であると記載している。 つまり「心の教育、あしたの風」に記載されていた、相談者を回復させるにあたり愛を注入する方法とは、 セックスであったことをを暗に記載していたのだと思われる。

  • 岩月謙司ホームページにも、同様な記載がある。

    岩月謙司ホームページ 「セックスは聖なる儀式」 より

    • さて、週刊誌やテレビなどで語られるセックスは、私に言わせるとガキのセックスです。 スタイルがいいとか、セクシ?とか、体の相性がいいなどというのは、オスメス的な動物的セックスに過ぎません。 低俗とはいいませんが、レベルは低いですね。レベルが低いということは、気持ちよさも低いということです。 人間というもの、そんな小さな快感で満足してはいけないのです。オスメス的セックスで得られる快感を1とすると、 聖なる心を刺激し合うセックスは1000くらい気持ちいいのです。 つまり、愛と信頼に満ちた男女の1回/日のセックスは、オスメスのガキのセックスの約3年分に相当するのです。 オスメスのセックスしか知らないのではもったいないですね。たいへんな差がついてしまいます。こんな状態で長生きしても意味ないですね。 セックスというのは実は脳でやるものなのです。心の気持ちよさというのは大地や宇宙を感じさせる快感なのです。 自分が大地そのものになったような気持の良さなのです。宇宙と一体化する気持ちよさです。人が人を愛し、そして人と一体化することで宇宙と和合できるようになるのです。

    • さて、セックスとは、皮膚と皮膚のふれ合いです。これはどういう意味があるのでしょうか。 自分と自分以外のものの境界は皮膚です。その皮膚を合わせるというのは、 自他の区別 を無くすことを意味します。自他の区別がないというのは、自分を愛するように相手を愛せるということでもあり、 相手の魂と直接触れ合うことでもあります。心のふれ合いの極致がセックスなのです。
      ・・・略・・・

    • 自己受容できるようになるには、「理性による理解と感情による納得」が有効です(そのヒントは拙著に書いてありますのでご覧下さい)。

    • ・・・略・・・

    • この愛と信頼がないと、セックスをしても、聖なるパワ−は生まれません。大いなる気持ちよさも得られません。 しかし困ったことに、心の中に怒りがあると、「楽しいことをしよう」という意欲が発生しなくなります。 怒りを減らす特効薬が「気持ちよさ(悦び)」なのに、困ったことですね。これではいつまでたっても怒りは減りません。 しかも、そんなやる気のない自分にますますイライラしますから、いっそう怒りが増します。 しかし、ますます楽しいことを企画立案しようという意欲はしますので、ますますあせります。 怒りはたまる一方です。すっかり悪循環にハマってしまって、いよいよ楽しいことができなくなります。 こうなると、ひとりの努力ではこの悪循環を断ち切ることは不可能です。第三者の支援が必須です。 あなたの幸せを願い、あなたと悦びの共感をしたいと願う人の支援です。

  • 怒りがたまり悪循環にハマってしまうとは神経症の症状に合致し、よって、クライアントのことを指すのだと思われる。 それを支援する第三者とは岩月氏と推測され、 支援方法とは、「聖なる儀式」としてのセックスだと推測される。

    つまり、この文章は岩月氏がクライアントとの性交渉を合理化するための記載と解される。


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